山野雄大(やまの・たけひろ)
プロフィール ライター〔音楽・舞踊評論〕
『音楽の友』『レコード芸術』『バンドジャーナル』各誌をはじめ雑誌・新聞に寄稿するほか、CDの企画構成・ライナーノートや全国の演奏会
での楽曲解説、NHK-FM『オペラ・ファンタスティカ』はじめラジオ・テレビ出演、取材撮影など多数。立教大学大学院文化研究科博士課程単位取得満期退学。
撮影:堀田正矩
【新しいオペラの描く、巨大な〈情念と祈り〉】
愛と憎しみを描くことにかけて、オペラの力は凄まじい。ことばと音の結び合うところに鮮烈な力を響かせる歌唱、
それを支えひろげるオーケストラの多彩なエネルギー‥‥。古今東西、オペラの描く 〈人の情念〉は、心を直接につかみ揺さぶるような深い感動を
もたらしてきた。
いま、新しいオペラが響きはじめる。長らくフランスで活躍する現代作曲家・丹波明が、力こめて書いた楽劇《白峯》。
これは、愛憎と運命にその人生を狂わされた男の物語──いや、その男を巡る巨大な情念と祈りが響きわたる、新しい〈体験〉だ。
今までになかったオペラが、時を超えて(そして東西も超えて!)人間の凄まじい愛憎と、その彼方の世界を描き出す。
情と怨念、夢とうつつと‥‥。音楽はヨーロッパが研ぎ澄ましてきた現代芸術ならではの表現を踏まえているが、
登場するのは850年ほど昔の日本、平安末期から鎌倉にかけての人びとだ。オペラは時代も洋の東西も一瞬で突き抜けて、私たちを取り込む。
《白峯》世界初演を前に、新作オペラの音宇宙と出逢うのを楽しみにしつつ‥‥ご紹介がてら少しお話を。
【サッカー、蹴鞠、そして白峯‥‥】
話を脇からはじめよう。
サッカーなど球技のファンならご存知かもしれないけれど、京都御所からもほど近いところに〈白峯神宮〉がある。
ここは球技などスポーツ関係者の参拝も多いことで有名だ。
というのは、幕末にこの神社が建てられたとき、敷地はもともと公家・飛鳥井家の屋敷があったところで‥‥この飛鳥井家は平安の昔から、
和歌と蹴鞠の宗家なのだ。
飛鳥井家は代々、邸内に〈精大明神〉という蹴鞠の守護神を祀ってきたそうで、幕末に〈白峯神宮〉が建立されてからも、
その祭祀を受け継いでいる。なにしろ蹴鞠といえば(起源もルールも全然違うけれど)サッカー。
というわけで、サッカーなど球技の守護神としてプロ選手をはじめ全国から参拝者が集まり、
珍しく〈闘魂守〉というスポーツのお守りがあるというほどだ。
ところで、なぜここが〈白峯神宮〉と呼ばれるかというと、四国は香川県・坂出市にある、
崇徳天皇の陵〈白峯御陵〉から皇霊を遷奉して(ごく簡単にいうと「崇徳院の霊を四国から京都へお移ししてお祀りし」)創建された神社だから。
崇徳院(崇徳天皇、崇徳上皇、いろいろ呼び名はあるが)は、平安期、激しい政治の動乱のなかを生きたひと。
〈保元の乱〉に敗れ、京都から遥か四国・讃岐国へ配流された崇徳院は、そのまま京へ戻ることなく不遇の生涯を閉じた。
朝廷からみて罪人とあつかわれたわけだが、その劇的な人生はさまざまな伝説を生むことになった。
──崇徳院が亡くなったあと、京には不吉な動乱と縁あるものの死が次々に起こった。
数々の無念と激しい恨みのうちに没した崇徳院の怨霊が、京におそろしい不幸をもたらしているのではないか‥‥と貴人たちは相次ぐ事件に震えあがり、
怨霊鎮魂のため崇徳院を祀ることになった。
崇徳院の没した讃岐国、瀬戸内海を見下ろす〈五色台〉と呼ばれる台地(坂出市と高松市にまたがる)には、その名の通り五つの峯がある。
いわく、黄峯・白峯・赤峯・青峯・黒峯。そのなかでも最も西寄りにある〈白峯〉に、その名を〈白峯御陵(崇徳天皇陵)〉
と四国第八十一番霊場〈白峯寺〉がある。‥‥ここから皇霊を遷奉して京都で崇徳院を祀る〈白峯神社〉の名は、遠く四国の白峯に由来する、
というわけだ(したがって、崇徳院が蹴鞠の神様というわけではないので念のため。不思議なご縁ではあるけれど)。
【崇徳上皇、その苦悩の生涯を新たな楽劇の世界へ】
歴史の動乱に揉まれ、激しい恨みとともに世を去った崇徳院、没後に及んでも激しい怒りが巻き起こすさまざまな怨霊伝説‥‥。
実際のところはさておき、崇徳院のイメージはもっぱら〈怨霊〉として世間に広まることになった。
いちばん有名なのが、江戸時代後期にうまれた上田秋成『雨月物語』冒頭のエピソードだ。
──僧侶にして歌人の西行が、讃岐国をしばらく旅していた折のこと。西行は出家する前、
崇徳院の父である鳥羽上皇に仕える身であったため、もちろん崇徳院もよく知っていた。
その菩提を弔うために西行は、陵のある白峯を訪れる。ところが西行はそこで、崇徳院の霊と出会うのだ。
なぜご回向申し上げているのに成仏せずお迷いに‥‥と尋ねいさめる西行に、崇徳院は「近頃の世の乱れは自分のしわざなのである」と、
自らを裏切り陥れた者たちへの激しい恨みを語る。配流の地で写経した五部の大乗経ですら、
京へ届けても「もしや帝に対する呪詛のお心からでは」と送り返されるという非礼。
遂に崇徳院は、憤怒のあまり「大魔王となりて」三百余の天狗を配下とする首領となった。
「人の幸福を見てはこれを災厄に転じ、世の太平を見ては、そこに戦乱を起こさせる」存在となったのだ
(訳文は小学館『新編日本古典文学全集78』所収、高田衛校注・訳による)。
しかし西行は、恨みを残す崇徳院の霊と論をたたかわせ、歌を捧げて成仏を祈る。やがて霊は穏やかに消え‥‥。
これが『雨月物語』に描かれるエピソードなのだが、この上田秋成の怪異小説をはじめ、
崇徳院の〈怨霊〉の物語は古来たいへん多くの作品で描かれて来た。
──今回、セントラル愛知交響楽団が世界初演をおこなう楽劇《白峯》は、『雨月物語』に題材をとり、
ほかに『保元物語』などさまざまな作品を参照しながら、作曲家自身が台本を書いて作曲した、新たな〈崇徳伝説〉だ。
【《白峯》の世界へ】
《白峯》でははじめ、西行法師の前に樵(きこり)としてあらわれた男が、やがて崇徳上皇の霊として激しい怨讐を語り出す。
回想される京での過去‥‥。オペラの第2幕では、崇徳の壮絶な運命を織りなす京の人びとが登場し、
朝廷に入り乱れる愛憎とその残酷な展開が描かれる。
白河法皇や、崇徳の父・鳥羽上皇、その夫人である待賢門院(彼女は白河法皇にも寵愛をうけており、
運命は崇徳の生まれる前からよじれている)、第二夫人である美福門院(我が子を帝の地位につけるため崇徳を冷遇する)‥‥。
情事と恩讐のもつれはやがて、平安の貴族社会をひっくり返す〈保元の乱〉とその敗北、崇徳の破滅へとつながってゆく。
場面は第3幕でふたたび西行と崇徳の対話へ。過去の怨念を語る崇徳の霊は、復讐を繰り返し救われぬ存在としての道を選んだのだ、
と西行に告げ「廻り廻りて此の世に止まり 悪に悪持て力に力持て対するが 吾が選びし道なるぞ」と、
大炎閃光に包まれた姿をみせる。──やがて悪夢から覚めた西行は、崇徳の霊が仏の世界へ導かれるよう読経をはじめる。
混声合唱とともに歌われる『阿弥陀経』が、オーケストラの響きへと融けてゆき‥‥
【〈細胞〉と〈序破急〉の美学】
作曲家・丹波明(1932年横浜生まれ)は、若くしてパリに留学して以来、そのまま半世紀にわたってフランスを拠点に活躍してきたひと。
パリという現代音楽の最先鋭が生まれてゆく環境にあって、丹波明も、電子音響音楽など新しい表現の技術開拓に力を注いだほか、
〈ミュジック・コンクレート〉に深い興味を示した。
これは訳せば〈具体音楽〉。乱暴に説明すると、伝統的な拍子やリズム、楽音にとらわれず、
ノイズも含む録音された素材を加工して創られる音楽‥‥ということになろうか。丹波明はここで得たものを、
のちの器楽作品にもそそぎ、やがて、日本の能の研究(彼は『能音楽の構造』という研究で音楽博士号を得ている)とも結びついて、
あらたな創作の世界をひらいていった。
今回の新作オペラ《白峯》には、丹波明が積み重ねてきた創作の語法と新たな試みとが織り込まれているだろう。
能をはじめ、日本文化のさまざまなところに現れる〈序破急〉の美学を、音楽に生かしてゆくこと。
そして、作曲家自身の言葉を借りれば、小さな〈細胞〉から生まれてゆく音楽のくみたてを、その〈序破急〉の美学に組み合わせてゆくこと。
【時を超える物語、へ】
独唱陣はもちろん、混声合唱もしばしば細かく分割されて分厚い響きをつくりながらオペラの音世界に重要な役割を果たす。
声楽のラインが、日本語の発音や抑揚と自然に融けるように緻密に書かれているのも、作品の重厚な世界をつくりあげてゆく大事な
ポイントだろう。
また、たとえばイタリア・オペラのように派手に歌い上げる歌唱とはまるっきり違い、
抑制された音程の動きが重ねられてゆくのも効果的だ。──音程の限られた小さな動き、
そこから生まれ重ねられてゆくなかで、聴き手の中でも心理的にもエネルギーが増大してゆくかのよう。
これはまるで、音の小さな動き、耳につきやすい素材が蓄積されながら姿を変え、巨大な〈序破急〉へとつらなる時間を生んでゆくようでもある。
そう。時を超える物語には、一定のリズムに乗せた歌とは別に、ひらかれた自由な時間も必要なのだ。
第1幕の冒頭からして、リズムはない。沈黙を押しひらくように現れるトランペットが、B─C─H‥‥と狭い音程で長く奏するそのはじまり、
しかも音が「クレッシェンド(漸増)──ディミヌエンド(漸減)」する強弱変化、ここから既に《白峯》全曲にあらわれる特徴が聴こえるので、
ご覧になるときはぜひご注意いただきたい。
いや、たぶんご注意いただかなくとも、しっかりと印象に深く残されてゆくことだろう。
なにしろこの《白峯》には、この「漸減→漸増」や、グリッサンド奏法(音のあいだを滑らせるように移動する)など、
音の変化や響きの遠近を印象づけるようなところが、とてもたくさん出てくる。
オーケストラに、グリッサンド奏法をはじめ多彩な音色や緻密自在な発音を得意とする
電子楽器〈オンド・マルトノ〉を2台加えて響きに神秘性を深めているのも、そうした表現を助ける。
特徴的な音のかたまり(いわゆるドミソの和音とはまた違うのだが)やリズムの要素も繰り返し登場することで、
怨讐の物語はきっちりインパクトを叩き込んでくるだろう。
【神秘と激動の巨大な〈鎮魂曲〉】
動きつづける言葉、ひらかれ続ける時間。それが場面を重ねるごとに、フィナーレの読経の場面まで表現の起伏を大きく広げてゆく。
朝廷の複雑なドラマと凄まじい怨霊の迫力を描きながら、しかしこの《白峯》という楽劇は、いわゆる普通のオペラともずいぶん違う。
崇徳院を描いて来た古来の〈怨霊物語〉とも違って、いわば巨大な〈鎮魂曲(レクイエム)〉となっているのだ。
しかしもちろん、そこにはオペラ的な劇的起伏も忘れられてはいない。保元の乱を描く場面、音楽からは歌唱が消えて総譜に〈Ballet〉
と記された箇所で、オーケストラが一定のリズムのなかで激しく荒れ狂う音楽は、全体の大きな転換点となるだろう。
逆に、まったくリズムの指定がない中で各パートが自在に呼び交す場面‥‥時間の感覚がふと飛ぶような音空間との対比。
これは実際の舞台でどのような印象を残すのか、たいへん楽しみなところだ。
この音世界と出逢う私たちは、舞台に自分たちの喜怒哀楽を重ねながら、私たちの想像を超える新しい〈表現〉を知るだろう。
──現世の愛憎と、この世ならぬ境地まで突き抜けた怨念と。ここに、新たな〈時〉が生まれる。