楽劇(オペラ)《白峯》 ―演奏会形式―  
  

トップページ プロフィル等 あらすじ・台本 浜千鳥 序破急とは 深大寺聲明の会
台本・音楽 丹波 明 / 指揮 井ア正浩 / 演奏 セントラル愛知交響楽団
「成るは成就なり」(世阿弥)。怨念界を開放するレクイエム。
     歴史に翻弄された悲運の主人公。東西の融合。日本の題材『雨月物語』をヨーロッパ音楽で成就させる。  
                             (c)三浦興一                        (c)三浦興一                                                             へ行きます。
お陰さまで公演が無事終了いたしました。皆さまのご支援に感謝いたします。
♪ 本公演に関する アンケート、感想など皆様の声を掲載いたしました。 ご覧いただければ幸いです。
 ♪ 丹波作品の熱烈な愛好家 近藤さんの手紙 を掲載いたしました。ご一読ください。

丹波先生がフランスにお帰りになる前、調布市の深大寺を訪ねられました。
そのとき堂内で稽古中の天台声明が境内にも聞こえてきました。
これがその後、深大寺天台声明のヨーロッパ公演に繋がりました。 その映像が調布ネットテレビで見ることができます。
下記をクリックしてください。
 深大寺天台声明 ヨーロッパ公演リハーサル
 ヨーロッパ公演の様子

東京公演CD
             
すみだトリフォニーホールでの公演のCDができました。非売品ですので ご希望の方には貸し出しいたします。
住所、氏名、電話番号を記載の上、こちらまでご連絡ください。

CDの解説は作曲家の角篤紀先生の「成る」という記憶 です。

挿絵は画家の佐竹美保さんに描いていただきました。ホームページでは「あらすじ・台本」に掲載いたしました。
京都奉納CD
            
京都・白峯神宮における奉納演奏のCDです。希望の方には貸し出しいたします。
こちらまでご連絡ください。

CDの解説には作曲家の丹波明先生が楽劇《白峯》奉納版によせてを、指揮者の矢崎彦太郎先生が《白峯》の初演奉納を書いてくださっています。

イラストはハラダ チエさんです。 
   HPは チエの部屋
名古屋公演  2014年9月26日(金)三井住友海上しらかわホール名古屋公演チラシ終了
東 京公演   2014年9月28日(日)すみだトリフォニーホール東京公演チラシ終了
崇徳上皇850年祭 2014年9月21日(日)京都・白峯神宮奉納演奏終了

公演のお知らせ 《白峯》に出演していただいた方々の公演のお知らせを掲載しました。
あらすじ に英語版を掲載しました。
*オンド・マルトノ奏者 原田 節『オペラ「白峯」初演によせて』で。 HPは Ondes Martenotで。
楽劇《白峯》の世界へ  時を超えて、洋の東西を超える〈鎮魂歌〉から生まれる壮大   山野雄大
*丹波明「講演」(東京藝大・早稲田大学・筑波大学)  講演の様子は  「序破急とは」で。  
*「丹波明先生 特別講演」日仏現代音楽協会 9月10日中目黒・ジョイフルスタジオ
 http://afjmc.org 終了  
*ラジオに出演しました!
インターFM oh ! boy  9月14、21日 オンド・マルトノ奏者 原田 節のDJに。
                    「丹波 明《白峯》を語る…」 終了
・NHKラジオ深夜便 9月16日の「明日へのことば」〜フランス仕込の日本オペラ完成
  秋山宏氏のブログへ 
*クラシック音楽情報誌ぶらあぼ 2014年7月号 中日新聞7月18日  朝日新聞9月8日
 夕刊に掲載
丹波明 インタビュー 聞き手は日仏現代音楽協会の宮川渉氏 特別インタビュー
*丹波明先生の作品:1969年「単純な複雑性」と1970年「タタター」は下記をクリック
 してください。音で聴くことができます。作品 complex tathata
*丹波明先生と白峯に寄せる 実行委員のおもい
                            





 チエさんのスケッチ












〜本番前の準備〜
神楽殿
おがたまの木
北村権禰宜さん
音響の打ち合せ
神楽殿電源確認
電源確認
矢崎指揮者と丹波先生
西行法師と崇徳天皇
前夜祭
 

奉納版によせて
                                                   丹波明

このCDは 2014年9月21日、京都白峯神宮で「崇徳天皇八五〇年祭」に行われた奉納演奏を録音したものです。
原曲は三幕十二場、オーケストラ、合唱、バレエ等、百人近くの人を動員する楽劇なのですが 時間、場所の都合で急遽  第三幕のみを室内楽用に編曲して奉納演奏に当てたものです。
この原曲は 同年9月26日に名古屋で、同28日に東京で初演されましたが 其の時に多くの人から受けた質問は「今さら何で崇徳上皇の物語」をと、云うものでした。 答えは次の様なものです。
楽劇の題材、曲名等の選択は 半分が偶然、あとの半分は長い間、培って来た判断力で その偶然を引き受け発展させるか否かを決定する判断力の二つで決定するものです。
私の場合は、今から十二、三年前、二人の日本人文学者と知り合い、その中の一人が「雨月物語」の「白峯」を提案してきました。これを読んで直ぐ引き受けました。 これが私の場合の偶然です。
その理由はこの「物語」が夢幻能形式で書かれており、私が考えていた「序破急」原則も当てはめ易く、第一、第三幕は夢幻能で第二幕は現在能に構成出来る事、 又各所に面白いアイデイアが当てはまる事が分かったからです。
又、以前からキリスト教、仏教、イスラム教を主題とした楽劇三部作を書きたいと思っていたので、この仏教と神道の対決である「白峯」から始めることに 何の抵抗も感じなかったのです。これが上記の偶然を引き受けさせた判断力です。
その後、名古屋セントラル交響楽団、指揮者の日程で当てにしていた オーケストラと合唱の録音も使えない事が分かって来ました。祭典の関係で演奏時間は30分前後、場所は交通量の多い大通りに面し、 四面が筒抜けの神楽殿ということに決まり、電気ギター、電気ピアノ、オンド・マルトノ、打楽器と音量を調節できる電気楽器を、2人の独唱者(崇徳上皇、西行法師) と8人の合唱とを共演させることとし、台本・音楽は「雨月物語」「保元物語」を元として私が書いた楽劇の第三幕をそのまま使いました。
前記の様に 第一、第三幕は夢幻能の語り様式を取っています。語り手崇徳上皇は、聞手西行の問いに答える様式で「過去と現在」を行き来する逆行の時間の中で 劇は進行するのに対し、第二幕は「現在から未来」に流れる実存の生命体の時間の中で展開する劇なのです。
このように私が構成した三幕の楽劇≪白峯≫は同じ物語を 時間、人物、情況を変えて三回繰り返すのです。
物語とは、27歳で帝位を降ろされ、上皇継承権をも奪われ、保元の乱に敗れ、四国直嶋に流され、孤独、苦しみの中に 45歳の生涯を閉じた崇徳上皇がその苦しみ恨みを第一幕では樵の姿で、第二幕では27歳の若い天皇の姿で鳥羽帝に抗議し、第三幕では45才の崇徳上皇の亡霊の姿で現れ、 ある時は淡々と、ある時は激しく西行に語りかけるのです。従って第三幕だけを独立させても楽劇として成り立つのです。
私がこの楽劇≪白峯≫を準備、練習中に直面し感じたことは、この崇徳上皇の物語が、と云うよりこの物語を支えている日本人の精神性が、 更に言い換えれば霊魂の不滅を信じる心情、それから派生する習慣、生き方、考え方が今日でも連綿と続き日本文化の一端を担っていることです。
これは雅楽の笙の和音の様に旋律の上に鳴り響き、自然の力を象徴しているのです。そして、この持続高音が人生の大きな問題が有るごとに想起され存在の時間の中に降下し、 介入している、と云う事でした。(2014.11.13)


≪白峯≫の初演奉納
                                       矢崎彦太郎

 撮影
 有田周平
 丹波明氏は、私にとって二重の意味で先輩である。一つは東京藝術大学の同窓生として。もう一つはパリ在住の日本人音楽家として。
丹波氏が東京藝大作曲科を卒業されたのは、私の指揮科卒業の12年前で、まだ小学校6年生だったし、ウィーン・ローザンヌ・ロンドンと移り住んだ私がパリに落ち着いた 1979年は、彼がパリ・コンセルヴァトワールに入学を果たした19年後だった。
同じ神奈川県出身とはいっても私は15歳年下の若輩者なのだが、 親しく声を掛けて戴くのは異郷暮らしという境遇の成せる業(わざ)なのだろうか。
彼の名前は1972年に上梓された〈創意と創造〉を読んでフランス作曲界の動向や系譜を学んだ時から知っていたけれども、面識を得たのはパリに来てからだ。
 崇徳天皇850年祭に≪白峯≫を京都の白峯神宮で奉納演奏する話を最初に伺ったのが何時の事だったか定かではないものの、 (昨)2014年2月には制作中だった室内楽編曲奉納版スコアの草稿を彼の家で拝見した。
毎年一回開かれているパリ藝大同窓会の会長は丹波氏で、4月に開かれた会では、雨月物語や能の音楽について話が弾んだ。その後私はパリを留守にして南仏や日本に旅をし、 日本へ発たれる丹波氏とすれ違う寸前、パリで唯一の接点であった5月15日に≪白峯≫の総譜を受け取った。
 西行は昔から私が好きな歌人で〈山家集〉はパリと東京の両方の家に置いてあるほどのファンである。この際、新たに目崎徳衛氏、高橋英夫氏、沓掛良彦氏、 田口宏雄氏の研究書を読み、敬愛する作家の辻邦生氏が著わした〈西行花伝〉、佐竹温知氏による〈西行 求道の境涯〉といった愛読書も再読した。
保元物語、西行物語、愚管抄の他、河内祥輔氏の〈保元の乱・平治の乱〉黒田俊雄氏の〈王法と仏法〉等は当時の雰囲気をイメージする手助けになった。 終わりの部分で西行が読経する経典は、雨月物語では金剛経であったのを丹波氏は阿弥陀経に変更されたので、双方の経典も比較・参考にした。
 演技を伴わない奉納演奏とはいっても、原曲は楽劇(Drame musical)である。所作のない分、 登場人物のキャラクターをより強く克明に意識して音楽に語らせなければ冗漫な演奏となってしまう。そのための第一歩は徹底したスコアの読みだ。
レポート用紙20枚ほどの疑問点を東京の丹波氏に送り返答を受け取った上、8月中旬には長野県富士見にある彼の山荘を訪ね、ディスカッションを重ねて確認した。
私が演奏するレパートリーの多くは作曲者が故人で質問をすることが叶わないから、現代作曲家の場合は細大漏らさず質しておこうと思う。 但し、それに頼って楽譜の読みが甘くなることは許されない。特に今回のように、原曲を編曲して出演者を崇徳上皇・西行法師の2人と、 読経をする数名の合唱、及び5人の楽器奏者に凝縮させた室内楽版では一音たりとも忽(ゆるが)せには出来ないのだ。
白峯神宮の道場で2日間リハーサルを行ない、演奏する神楽殿での楽器配置も検討した。
神前の矢崎指揮者
 最大の難関は演奏に先立つ祭典で玉串を奉奠(ほうてん)することだった。本来ならば作曲者の役目ではないかと思ったが、奉納するのは演奏だから、 その責任を担う指揮者の仕事だと説得された。普段は閉じられている本殿の前に進むと、平安時代にタイムスリップしたかのように、やんごとなき方々が並んでおられる。 場違いな紅毛異人になったかの心境で末席を汚し、他の方の作法を仰視する。
幼稚園から音楽大学に入るまでカトリック系の学校で教育を受け、人生の3分の2近く、40年余りをヨーロッパで暮らしている身としては、 何か失礼なことをして上皇様の不興を買い祟られては困るからだ。よくよく観察してみると、玉串の捧げ方や「三拝の礼」の他は個人差があるので少しリラックスしたら、 かねてから自問していた「奉納演奏とは具体的に何をすべきか」ということが、私なりに朧げながら見えてきた。 神道的には正しくないかも知れないが、それは御前演奏という形式的で距離を置いた客観性の濃い行為ではなく、 上皇様の御霊に真心を込めて直接語りかけることではないかと思った。
この点が今まで何度も演奏したモーツァルト、フォーレ、ヴェルディ等のレクイエムと根本的に異なるポイントだった。 その気持のまま演奏に移り、丹波氏が書きつけられた音符を初めて音として、一期一会の音として大空(たいくう)に解き放つ。 読経の場面が最弱音で消え入り、永遠の沈黙に吸い込まれる中、「上皇様、安らかにお休みください」と祈願申し上げて演奏を閉じた。
東京へ戻る前に、初秋の明るい陽を浴びて東寺の庭を散策した。五重塔を見上げながら池の前の石に佇むと、私が大好きな

     にほてるや なぎたるあさに 見わたせば
     こぎゆく跡の 浪だにもなし

が口を衝いて出る。西行が慈円と共に比叡山の無動寺・大乗院から琵琶湖を眺めて詠んだ歌だ。その瞬間、西行師から「お前にしては上出来だったよ」と慰められた気がした。  この演奏が、少しでも崇徳上皇の御霊をお鎮めする縁(よすが)とならんことを、切に願って止まない。(26.Jan.2015)


実行委員(あいうえお順 敬称略)

青木三郎/石原一子/入野禮子/石井るり子/内海里香/海老澤敏/大西信也/金田潮兒/金原瑞人
北原保雄/木戸敏郎/杵屋子邦/小島幸雄/佐藤修悦/角 篤紀/高橋潤二郎/丹波菊井/遠山一行
西原 稔/西 耕一/伴 紀子/早川 浩/福田輝久/前田專學/松崎 晃/松原秀一/松前紀男
三善 晃/和田準夫/和田裕子/若井健司

実行委員のおもい

魂の遍歴               作曲家 角 篤紀
21世紀 日本人の仕事            大西信也
丹波明氏との出逢い      入野賞基金 代表 入野禮子
丹波明作曲楽劇“白峯”によせて   尺八演奏家 福田輝久


  魂の遍歴                               作曲家  角 篤紀

フランス政府給費留学生として渡仏以来、丹波明のフランスでの生活は既に50年を超えた。 弦楽を意識して編まれたこのアルバム(テトラクロニー)は、彼が自らの書法を模索しつつ歩いた半世紀にわたる格闘の記録であり、 ほぼ20年ごとの隔たりを持って作曲されたこれら三作品を並べ聴くと、 作曲者の音楽的・人間的魂の遍歴が浮かび上がってくる。

1 ヴァイオリン協奏曲第1番(1963)
丹波がフランスで書いた最初のオーケストラ曲。パリ音楽院卒業試験のために書かれ、この作品で一等賞(プルミエ・プリ)を得る。 後期ロマン派の色彩を残した解り易い作品である。曲は三つの楽章に分かれている。
第一楽章/微かな弦のトレモロ、チェレスタ、管楽器の海に独奏ヴァイオリンが浮かび上がる。その歌を断ち切る打楽器、金管楽器の咆哮は最初のクライマックスの予兆。中間部に配置された一瞬のオーボエは、天啓のようにヴァイオリンを導き、曲全体の骨格を確かなものにする。このオーボエは終盤の静謐な部分への布石、あるいは重力の支点と言うべきものである。カデンツァの余韻を残しつつ、ヴァイオリンの旋律が天に昇り行くように消えて第一楽章を終える。
第二楽章/冒頭ヴァイオリン独奏で始まる。F#-minor の調性を微かに匂わせる旋律がよぎるが、すぐにカオスの海に呑み込まれる。作曲者の、アカデミズムへのオマージュ、それとも静かな決別の表明であろうか。途切れることのない独奏ヴァイオリンの旋律は、霧となって忍び寄るオーケストラやクラリネットのオブリガートに支えられ、嵐のようなトゥッティをへて再び高みをめざす。締めくくりは、控えめなピチカートとコントラバスの独奏という類を見ない仕掛けである。
第三楽章/前楽章から切れ目なく始まる導入部分は、オーケストラの重い一撃とウッドブロックの印象的な対比。 独奏ヴァイオリンは開始から、幅広い音域にわたる激しい運動を強いられ、ときおり打ち込まれるダブルストップ(重音)の鋭い楔が、 この楽章の輪郭を際立たせる。楽曲の構造を支えているのは、ホルンの柔らかな助奏とウッドブロックの響き。 とりわけ、木管楽器群の4度音程フレーズ後に現れるそれは、コーダへの予感に満ちて効果的である。曲はカデンツァを断ち切るように終わる。

2 ヴァイオリン協奏曲第2番 アドゥバイター(1984)
1968年フランスでは学生・労働者による大規模なゼネストが起こり、それをきっかけにして社会の変革、文化的転換が劇的に展開された。 いわゆる5月革命である。その歴史の渦の中で丹波もまた、これ以降コンセルバトワールの呪縛を振り切るように独自の書法を模索し始める。
この曲は、古典音楽の延長で書かれた第一番とは異なり、彼が自らの弦楽四重奏曲<タサター>(1968) で初めて試みたという独自の書法が用いられており、そこには動機の発展や展開は言うまでもなく、 十二音技法などに見られる逆行・拡大・縮小などの概念もない。ひたすらクライマックスへ向かう強固な意志が、 音の密度・速度・強度を漸次的に増大させつつ疾走する。
副題のアドゥバイターとは、サンスクリット語で非二元性 (一元性でも多元性でもない)の意。一元性は統一された神の世界、多元性はアニミズムのような多神教を指す。 つまりここでいう非二元性とは、そのいずれでもない世界観(禅などに結びつく非次元世界)を意味している。 この協奏曲ではソリストの概念が取り払われており、楽章の区切りも無い。象徴的な副題である。
曲の冒頭、鋭い打撃音に続く金管のロングトーンが風景を一変させる。定量記譜は姿を潜め、作曲者自ら「細胞」と呼ぶ最小単位の音群が、 圧倒的な力で音楽を構成していく。金管楽器群の強奏、打楽器の急速なパッセージが音楽の呼吸を一度止めると、 その静寂の中からヴァイオリンの旋律の断片がポルタメントで立ち上がるが、それは歌というより生命体に近く、 実に有機的な風合いである。
本作品の構造上のキール(竜骨)は、このポルタメント、 さまざまなグリッサンドとロングトーンの時間制御に尽きると言って良い。カデンツァ風ソロは律動的な音型を激しく刻みつつ、 オーケストラを巻き込んで最初のクライマックスへ向かう。トゥッティの後、ヴァイオリンのトリル、 管楽器群のロングトーンが多層な重なりを見せ、弦楽器群が急速な上行で消えると、 現れるのはヴァイオリンのあの有機的旋律。次のクライマックスへの予兆である。
作曲者の世界観がひときわ顕著に現れるのは、オーボエとウッドブロックで始まる曲の後半だろう。 ヴァイオリンの単音トレモロ、指でのアルペジオ、オーケストラの暗い背景に浮かぶ祈りの旋律は、 否定と肯定の思考の狭間で苦悩する作曲者自身の投影に他ならない。オーケストラとヴァイオリンの断片的会話は激しさを増し、 トゥッティの強奏まで続く。このカタストロフィーですべてのエネルギーが一気に放出されると、 弦楽器群のグリッサンド上下行はディクレッシェンドしつつ無の世界<アドゥバイター>の世界の出現を予告する。 混沌とした灰色の海に記憶の断片が浮かんでは消え、ヴァイオリンのトリル、オーケストラのロングトーンが静かに曲の終わりを告げる。

3 テトラクロニー(2008)ピアノと弦楽三重奏のための
作曲者の言によればクロニーとは物理的、生物学的「時性」を表す言葉であるという。標題のテトラクロニーは直訳すれば「四の時性」。 演奏者に与えられた、それぞれ固有の時間感覚、可塑性がアンサンブルの底流となる。
この作品では固定音や反復リズムが徹底的に排除されるが、いわゆる感覚主義とは無縁である。 独自の作曲理論が、非決定音楽の具現化を支えているからだ。
彼が自著で展開している<地域的・歴史的条件を取り除いたすべての人間の知覚にもとづいた精神生理学的書法 (「序破急という美学」音楽之友社刊)>は、十二音音楽以降、共通の書法を見失った現代音楽の混乱にとって、 ひとつの理論的道標となろう。
曲はそれぞれの弦楽器のトリルで始まる。 不安を孕んだ短二度のトリルは、速度、時間、ダイナミズムの変化を見せつつ複合的に重なり、 表層にわき上がるハーモニックスの歌は植物の芽 ‘sprout’ もしくは触手のように生々しい。 そこに無機質のピアノがからみつく。最初のクライマックスはピチカート、ピアノの激しい打鍵を伴って訪れ、 短い休止の後、再び素朴な ‘sprout’ が長二度のポルタメントで現れる。
<アドヴァイター>でも使われたこの有機的旋律は、やがてドラミング(drumming)あるいはラトリング (rattling)とでも言うようなノイズとの対話を始める。チェロの弦に挟んだ編み棒から生じるそのノイズは、 生命体の脈動のようだ。対話は叩き付けるようなピアノのトレモロに中断され、ソロ的旋律の断片が紡がれてゆく。
この部分は次のクライマックスへの導入でもある。エネルギーは増大しピアノの激しい音塊、弦楽器の単音トレモロが絶叫する。 高低差のあるグリッサンドに続いて始まる微分音のトリルは、これもまた何と有機的な響きだろう。ピチカート部分から最後のクライマックス。 一瞬の空白を挟んでピアノが低音で歌いだす印象的なコーダ部分では、ヴァイオリンのトリル、ポルタメントが素材のまま提示され、 静寂のうちに曲が閉じられる。(「テトラクロニー 作曲家 丹波明の肖像」ALM Records ALCD-92解説より)
  
21世紀 日本人の仕事
                                                大西信也
2011年7月、台本を読んだときこれは絶対日本人の手で上演しなければいけない、と心に誓いました。 その理由は、東洋と西洋の二つの文化・文明を理解、咀嚼、体得し、二つの文化・文明を融合する仕事は 21世紀の日本人のなすべきことだと考えていました。それを丹波明先生が《白峯》でやられていました。
日本文化の粋、能音楽をベースに西欧音楽を取り入れられ、オペラの形式も、能楽の夢幻能と現在能として展開され、 地謡をコーラスが担当している。
時代も貴族社会から武士社会への、寺社大荘園から地方群小荘園への大転換期、そこで生まれた悲劇、保元の乱。
主人公・崇徳院の運命を軸に上田秋成の『雨月物語』のすばらしい構成、それを題材にした丹波明先生の台本の彩り。 阿弥陀経の世界が色彩豊かな音楽的世界であることに人々は目を見張ることでしょう。
今回は演奏会形式ですが、舞台を想像しながら楽しんでいただきたいと思います。

丹波明氏との出逢い
                                      入野賞基金   代表 入野禮子

それは1962年パリのことでした。 亡夫作曲家入野義郎が第1回フランス政府芸術家招請を受け能楽の観世寿夫氏と共に1年間フランスに滞在することになりました。 入野はドイツ語の数々の音楽書の翻訳やシェーンベルクの12音技法の実践者として日本で初めて12音による作品を発表しシェーンベルクと 書簡の交換もしていた程で、所謂「ドイツ派」と言われていました。ところが井口基成氏や安川加寿子氏等所謂「フランス派」の大御所達によって 入野さんをフランスへ派遣しなければと云うことになった様で選ばれたと聞いてます。  入野は私と共に週3回フランス語のレッスンをマダム品田の所へ通い、彼は1962年1月に先にパリへ発ちました。 私は桐朋の音楽科で専任教師をやっていたので夏休みまで勤務してパリに向かいました。

8月にバイロイトのワグナーの「指輪」を観に行った時に私は初めて丹波さんにお目に掛かりました。 その時のことは良く覚えていませんが写真により分かった次第です。
      パリに戻ってからコンセルヴァトワールの色々なクラスを見学しました。丹波さんにはメシアンのクラスに連れて行って頂きましたが、 その時の丹波さんのお言葉は良く覚えています。「メシアンは遅れて来た者は絶対に教室に入れてくれないので呉々も遅れないで下さい」でした。 我々は早めに音楽院の噴水の前で丹波さんと待ち合わせ、メシアンのクラスを見学しました。
1968年には3歳前の長女の智江を連れて秋にはパリにも立ち寄り、6年ぶりに丹波氏との再会。彼の家庭を訪問し彼の色々な仕事の話しを聞きました。

 

時は流れ、約40年ぶりに丹波氏にお会いしたのは尺八の福田輝久氏の「邦楽聖会」作曲家の肖像 丹波明の邦楽個展でした。 彼が定年でやっと日本に来ることが出来るようになったと伺った覚えがあります。此のシリースは3回続いたと思います。  JMLでレクチャーをやりましょうと云うことになりチラシの様な「JMLレクチャー」が実現しました。パリ時代の作曲家ご夫妻や フランス人の音楽家、勿論福田ご夫妻の顔も見えます。若い人も集まってくれて大成功でした。

横浜での室内楽作品の個展は忘れることが出来ません。私が今まで体験したことのない程の大嵐。 海が近いのでその猛烈さは恐ろしく、傘はおちょこになるし大変な思いでやっとホールへ辿り着いたのです。 ところが此の嵐にも関わらず大勢の聴衆が集まっていました。作品も演奏も素晴らしく彼のトークも素晴らしくとても良い感じでした。 嵐のことは忘れて彼の作品に聴き入りました。

最後に忘れられないトークがあります。私が桐朋で子供の頃から教えていたピアニスト菅野潤君はずっとパリに住んでいます。 近年度々日本でリサイタルをします。あるリサイタルで丹波明先生をお迎えし、ステージ上で対談がありました。勿論テーマはメシアンです。 メシアンは毎日曜日教会のミサでオルガンを弾いていたことは周知のことです。メシアンはある時はボロボロの服装で又ある時は正装で現れるそうです。 そして丹波氏の独特な語り口で次の話しに私はおかしくて、おかしくて声を出して笑ってしまい人間メシアンを好きになりました。
「教会でオルガンを弾き終わった彼は教会の出入り口で何時もかぶっているベレー帽を手に持ってピアニストの妻を待っていたそうです。 すると教会から出て来る方々がその帽子の中に恵みのお金を入れて行くそうです。哀れな物乞いと思ったのでしょう。 しかしそれをだまって受け取っているメシアンの姿を想像して本当に面白かったのです。いとおしくさえ思いました。そのお金はきっと教会へ献金したのでしょうね。」
 
私は「白峯」の実行委員に加えて頂き、前よりも丹波氏にお会いする機会が多くなったことは嬉しい限りです。  オペラ「白峯」の成功に向けて頑張りましょう。

     
丹波明作曲 楽劇“白峯”によせて
                                      尺八演奏家  福田輝久
作曲家丹波明氏の名前を初めて知ることになったのは、私が30代半ばのことであります。この頃よりソロ活動を始め、同年代の作曲家と実験的な立場においても、また尺八の音楽領域を見つめんがためにも新作展を数多く行っておりました。 その折に新作グループ“燦”の尾崎敏之氏より“伝説的な作曲家”であることを知らされずっと興味を抱いておりました。
そして初めての出会いは2002年パリにおける和泉耕二氏の作曲作品展がユネスコザールTにて催された時でありました。 尺八独奏作品「音の干渉第6番」を私に手渡され暗黙の裡に「やりなさい」という大変有難い出会いとなったのでありました。
それ以来丹波明の音楽思想に傾倒し、改めて尺八においての伝統とは何かを根本より考えさせる存在となり、 そして私を代表とする邦楽聖会の音楽監督としてお迎えし、東京・パリを中心に“伝統と刷新”をテーマに活動を重ねてまいりました。
偶然ではありますが、幸運にも私は崇徳天皇終焉の地香川県坂出市におきまして尺八指導を乞われ教室を開いております。 世話役でもある尺八家田尾勝氏は崇徳天皇ほか地元史にも長け、今回に当たりたくさんの資料を頂き、 また御廟やらゆかりの地を案内頂き御尽力を頂きまして、私にとっても天皇が大変身近に感じられ、 また我が家にも袋綴じの雨月物語もあり、このプロジェクトが大変縁深いものでありました。 悲劇の天皇と共にあります坂出市民の皆様は、崇徳天皇への鎮魂の想い大変深いものがあります。
まずはセントラル愛知交響楽団名古屋公演、そして東京公演が成功裡に終えますよう、 そしてこの作品が因縁の地香川県はもとより世界中で上演されることを祈り、多くの皆様にご来場いただきたいと心より願っております。

   ぶらあぼ7月号  


  中日新聞
  
  朝日新聞 9月8日夕刊  


楽劇《白峯》の世界へ
            ──時を超えて、洋の東西を超える〈鎮魂歌〉から生まれる壮大                                                                        山野雄大(やまの・たけひろ)
ii撮影:堀田正矩
                              プロフィール ライター〔音楽・舞踊評論〕 
『音楽の友』『レコード芸術』『バンドジャーナル』各誌をはじめ雑誌・新聞に寄稿するほか、CDの企画構成・ライナーノートや全国の演奏会 での楽曲解説、NHK-FM『オペラ・ファンタスティカ』はじめラジオ・テレビ出演、取材撮影など多数。立教大学大学院文化研究科博士課程単位取得満期退学。                                       
                                 
 
【新しいオペラの描く、巨大な〈情念と祈り〉】        
 愛と憎しみを描くことにかけて、オペラの力は凄まじい。ことばと音の結び合うところに鮮烈な力を響かせる歌唱、 それを支えひろげるオーケストラの多彩なエネルギー‥‥。古今東西、オペラの描く 〈人の情念〉は、心を直接につかみ揺さぶるような深い感動を もたらしてきた。
   いま、新しいオペラが響きはじめる。長らくフランスで活躍する現代作曲家・丹波明が、力こめて書いた楽劇《白峯》。 これは、愛憎と運命にその人生を狂わされた男の物語──いや、その男を巡る巨大な情念と祈りが響きわたる、新しい〈体験〉だ。
 今までになかったオペラが、時を超えて(そして東西も超えて!)人間の凄まじい愛憎と、その彼方の世界を描き出す。 情と怨念、夢とうつつと‥‥。音楽はヨーロッパが研ぎ澄ましてきた現代芸術ならではの表現を踏まえているが、 登場するのは850年ほど昔の日本、平安末期から鎌倉にかけての人びとだ。オペラは時代も洋の東西も一瞬で突き抜けて、私たちを取り込む。
 《白峯》世界初演を前に、新作オペラの音宇宙と出逢うのを楽しみにしつつ‥‥ご紹介がてら少しお話を。
【サッカー、蹴鞠、そして白峯‥‥】
 話を脇からはじめよう。
 サッカーなど球技のファンならご存知かもしれないけれど、京都御所からもほど近いところに〈白峯神宮〉がある。 ここは球技などスポーツ関係者の参拝も多いことで有名だ。 というのは、幕末にこの神社が建てられたとき、敷地はもともと公家・飛鳥井家の屋敷があったところで‥‥この飛鳥井家は平安の昔から、 和歌と蹴鞠の宗家なのだ。
 飛鳥井家は代々、邸内に〈精大明神〉という蹴鞠の守護神を祀ってきたそうで、幕末に〈白峯神宮〉が建立されてからも、 その祭祀を受け継いでいる。なにしろ蹴鞠といえば(起源もルールも全然違うけれど)サッカー。 というわけで、サッカーなど球技の守護神としてプロ選手をはじめ全国から参拝者が集まり、 珍しく〈闘魂守〉というスポーツのお守りがあるというほどだ。

 ところで、なぜここが〈白峯神宮〉と呼ばれるかというと、四国は香川県・坂出市にある、 崇徳天皇の陵〈白峯御陵〉から皇霊を遷奉して(ごく簡単にいうと「崇徳院の霊を四国から京都へお移ししてお祀りし」)創建された神社だから。
 崇徳院(崇徳天皇、崇徳上皇、いろいろ呼び名はあるが)は、平安期、激しい政治の動乱のなかを生きたひと。 〈保元の乱〉に敗れ、京都から遥か四国・讃岐国へ配流された崇徳院は、そのまま京へ戻ることなく不遇の生涯を閉じた。 朝廷からみて罪人とあつかわれたわけだが、その劇的な人生はさまざまな伝説を生むことになった。

 ──崇徳院が亡くなったあと、京には不吉な動乱と縁あるものの死が次々に起こった。 数々の無念と激しい恨みのうちに没した崇徳院の怨霊が、京におそろしい不幸をもたらしているのではないか‥‥と貴人たちは相次ぐ事件に震えあがり、 怨霊鎮魂のため崇徳院を祀ることになった。
 崇徳院の没した讃岐国、瀬戸内海を見下ろす〈五色台〉と呼ばれる台地(坂出市と高松市にまたがる)には、その名の通り五つの峯がある。 いわく、黄峯・白峯・赤峯・青峯・黒峯。そのなかでも最も西寄りにある〈白峯〉に、その名を〈白峯御陵(崇徳天皇陵)〉 と四国第八十一番霊場〈白峯寺〉がある。‥‥ここから皇霊を遷奉して京都で崇徳院を祀る〈白峯神社〉の名は、遠く四国の白峯に由来する、 というわけだ(したがって、崇徳院が蹴鞠の神様というわけではないので念のため。不思議なご縁ではあるけれど)。

【崇徳上皇、その苦悩の生涯を新たな楽劇の世界へ】
 歴史の動乱に揉まれ、激しい恨みとともに世を去った崇徳院、没後に及んでも激しい怒りが巻き起こすさまざまな怨霊伝説‥‥。 実際のところはさておき、崇徳院のイメージはもっぱら〈怨霊〉として世間に広まることになった。
 いちばん有名なのが、江戸時代後期にうまれた上田秋成『雨月物語』冒頭のエピソードだ。

 ──僧侶にして歌人の西行が、讃岐国をしばらく旅していた折のこと。西行は出家する前、 崇徳院の父である鳥羽上皇に仕える身であったため、もちろん崇徳院もよく知っていた。 その菩提を弔うために西行は、陵のある白峯を訪れる。ところが西行はそこで、崇徳院の霊と出会うのだ。
 なぜご回向申し上げているのに成仏せずお迷いに‥‥と尋ねいさめる西行に、崇徳院は「近頃の世の乱れは自分のしわざなのである」と、 自らを裏切り陥れた者たちへの激しい恨みを語る。配流の地で写経した五部の大乗経ですら、 京へ届けても「もしや帝に対する呪詛のお心からでは」と送り返されるという非礼。
 遂に崇徳院は、憤怒のあまり「大魔王となりて」三百余の天狗を配下とする首領となった。 「人の幸福を見てはこれを災厄に転じ、世の太平を見ては、そこに戦乱を起こさせる」存在となったのだ (訳文は小学館『新編日本古典文学全集78』所収、高田衛校注・訳による)。
 しかし西行は、恨みを残す崇徳院の霊と論をたたかわせ、歌を捧げて成仏を祈る。やがて霊は穏やかに消え‥‥。
 これが『雨月物語』に描かれるエピソードなのだが、この上田秋成の怪異小説をはじめ、 崇徳院の〈怨霊〉の物語は古来たいへん多くの作品で描かれて来た。
 ──今回、セントラル愛知交響楽団が世界初演をおこなう楽劇《白峯》は、『雨月物語』に題材をとり、 ほかに『保元物語』などさまざまな作品を参照しながら、作曲家自身が台本を書いて作曲した、新たな〈崇徳伝説〉だ。

【《白峯》の世界へ】 
 《白峯》でははじめ、西行法師の前に樵(きこり)としてあらわれた男が、やがて崇徳上皇の霊として激しい怨讐を語り出す。 回想される京での過去‥‥。オペラの第2幕では、崇徳の壮絶な運命を織りなす京の人びとが登場し、 朝廷に入り乱れる愛憎とその残酷な展開が描かれる。
 白河法皇や、崇徳の父・鳥羽上皇、その夫人である待賢門院(彼女は白河法皇にも寵愛をうけており、 運命は崇徳の生まれる前からよじれている)、第二夫人である美福門院(我が子を帝の地位につけるため崇徳を冷遇する)‥‥。 情事と恩讐のもつれはやがて、平安の貴族社会をひっくり返す〈保元の乱〉とその敗北、崇徳の破滅へとつながってゆく。
 場面は第3幕でふたたび西行と崇徳の対話へ。過去の怨念を語る崇徳の霊は、復讐を繰り返し救われぬ存在としての道を選んだのだ、 と西行に告げ「廻り廻りて此の世に止まり 悪に悪持て力に力持て対するが 吾が選びし道なるぞ」と、 大炎閃光に包まれた姿をみせる。──やがて悪夢から覚めた西行は、崇徳の霊が仏の世界へ導かれるよう読経をはじめる。 混声合唱とともに歌われる『阿弥陀経』が、オーケストラの響きへと融けてゆき‥‥

【〈細胞〉と〈序破急〉の美学】 
 作曲家・丹波明(1932年横浜生まれ)は、若くしてパリに留学して以来、そのまま半世紀にわたってフランスを拠点に活躍してきたひと。 パリという現代音楽の最先鋭が生まれてゆく環境にあって、丹波明も、電子音響音楽など新しい表現の技術開拓に力を注いだほか、 〈ミュジック・コンクレート〉に深い興味を示した。 
 これは訳せば〈具体音楽〉。乱暴に説明すると、伝統的な拍子やリズム、楽音にとらわれず、 ノイズも含む録音された素材を加工して創られる音楽‥‥ということになろうか。丹波明はここで得たものを、 のちの器楽作品にもそそぎ、やがて、日本の能の研究(彼は『能音楽の構造』という研究で音楽博士号を得ている)とも結びついて、 あらたな創作の世界をひらいていった。
 今回の新作オペラ《白峯》には、丹波明が積み重ねてきた創作の語法と新たな試みとが織り込まれているだろう。 能をはじめ、日本文化のさまざまなところに現れる〈序破急〉の美学を、音楽に生かしてゆくこと。 そして、作曲家自身の言葉を借りれば、小さな〈細胞〉から生まれてゆく音楽のくみたてを、その〈序破急〉の美学に組み合わせてゆくこと。

【時を超える物語、へ】
 独唱陣はもちろん、混声合唱もしばしば細かく分割されて分厚い響きをつくりながらオペラの音世界に重要な役割を果たす。
 声楽のラインが、日本語の発音や抑揚と自然に融けるように緻密に書かれているのも、作品の重厚な世界をつくりあげてゆく大事な ポイントだろう。
 また、たとえばイタリア・オペラのように派手に歌い上げる歌唱とはまるっきり違い、 抑制された音程の動きが重ねられてゆくのも効果的だ。──音程の限られた小さな動き、 そこから生まれ重ねられてゆくなかで、聴き手の中でも心理的にもエネルギーが増大してゆくかのよう。
 これはまるで、音の小さな動き、耳につきやすい素材が蓄積されながら姿を変え、巨大な〈序破急〉へとつらなる時間を生んでゆくようでもある。
 そう。時を超える物語には、一定のリズムに乗せた歌とは別に、ひらかれた自由な時間も必要なのだ。
 第1幕の冒頭からして、リズムはない。沈黙を押しひらくように現れるトランペットが、B─C─H‥‥と狭い音程で長く奏するそのはじまり、 しかも音が「クレッシェンド(漸増)──ディミヌエンド(漸減)」する強弱変化、ここから既に《白峯》全曲にあらわれる特徴が聴こえるので、 ご覧になるときはぜひご注意いただきたい。
 いや、たぶんご注意いただかなくとも、しっかりと印象に深く残されてゆくことだろう。 なにしろこの《白峯》には、この「漸減→漸増」や、グリッサンド奏法(音のあいだを滑らせるように移動する)など、 音の変化や響きの遠近を印象づけるようなところが、とてもたくさん出てくる。
 オーケストラに、グリッサンド奏法をはじめ多彩な音色や緻密自在な発音を得意とする 電子楽器〈オンド・マルトノ〉を2台加えて響きに神秘性を深めているのも、そうした表現を助ける。 特徴的な音のかたまり(いわゆるドミソの和音とはまた違うのだが)やリズムの要素も繰り返し登場することで、 怨讐の物語はきっちりインパクトを叩き込んでくるだろう。

【神秘と激動の巨大な〈鎮魂曲〉】 
 動きつづける言葉、ひらかれ続ける時間。それが場面を重ねるごとに、フィナーレの読経の場面まで表現の起伏を大きく広げてゆく。 朝廷の複雑なドラマと凄まじい怨霊の迫力を描きながら、しかしこの《白峯》という楽劇は、いわゆる普通のオペラともずいぶん違う。 崇徳院を描いて来た古来の〈怨霊物語〉とも違って、いわば巨大な〈鎮魂曲(レクイエム)〉となっているのだ。
 しかしもちろん、そこにはオペラ的な劇的起伏も忘れられてはいない。保元の乱を描く場面、音楽からは歌唱が消えて総譜に〈Ballet〉 と記された箇所で、オーケストラが一定のリズムのなかで激しく荒れ狂う音楽は、全体の大きな転換点となるだろう。 逆に、まったくリズムの指定がない中で各パートが自在に呼び交す場面‥‥時間の感覚がふと飛ぶような音空間との対比。 これは実際の舞台でどのような印象を残すのか、たいへん楽しみなところだ。

 この音世界と出逢う私たちは、舞台に自分たちの喜怒哀楽を重ねながら、私たちの想像を超える新しい〈表現〉を知るだろう。 ──現世の愛憎と、この世ならぬ境地まで突き抜けた怨念と。ここに、新たな〈時〉が生まれる。


「成る」という記憶
                                              角 篤紀
 始めに
 1960年のパリ音楽院。フランス政府給費留学生として海を渡った丹波明を待っていたのは、オリヴィエ・メシアンとの運命的な出会いだった。 この日を境に丹波は、ソルボンヌ大学音楽博士号・フランス国家博士号を得て今日にいたる半世紀もの長い道のりをエトランゼとして歩き始めるのだが、 その原動力がこの出会いにあったことを最初に記しておかねばならない。なぜなら、西洋音楽の手法をすでに薬籠中のものとしながら尚、 いかなる衝動が彼を日本音楽理論やその美学についての膨大な研究に向かわせたのかを考えることなく、楽劇《白峯》が私たちにもたらした 芸術的・社会的意味を知ることができないからだ。

 丹波は拾い集めた日本伝統音楽の切れ端で楽曲を作り上げたりはしない。それらが成立した背景を明らかにし、それぞれが内包する美学を見極めようとする。 師メシアンがインドの民族音楽を理論化しそこから独特のリズム体系を作り上げたように、伝統音楽の本質に迫れば迫るほど、 それらが芸術表現としての普遍性を見せ始めることに彼は気づいていた。能の研究を勧めたメシアンの言葉は天啓のように響いたに違いない。

 序破急書法
 序破急書法とは、丹波が能の研究から導きだした序破急原則を、ヨーロッパ現代音楽の手法に取り入れて再構成した書法である。 刺激の量の漸進的増加を取り扱うため「エントロピー書法」とも呼ばれる。彼はフランス国立放送研究所でのミュージックコンクレート研究(63年〜)や、 ソルボンヌ大学提出博士論文としての能の研究(65年〜)に没頭する中で次第にこの書法の萌芽を育て、パリ音楽院卒業から5年後、 フランス民衆運動5月革命の嵐の中で書かれた楽曲「タサター」(1968)にその最初の兆しが現れるのである。

しかし理論として確立するには尚、フェシュナーの数式との邂逅を待たねばならない。以降、丹波の作品のほとんどはこの序破急書法に基づいて作曲されることになる。楽劇《白峯》(2006)は、 その集大成とも言うべき作品で構想から8年を要した大作である。

 序破急は室町時代、能の世阿弥が作品構造の要とした言葉として一般にも幅広く知られ、演劇、音楽に限らず時間的構成を持つ あらゆる芸術分野に影響を与えたとされている。 では序破急書法とはどのような作曲方法なのか。

 音楽は人に安らぎ、悲しみ、高揚感などの感情を呼び起こす。西洋におけるクラシック音楽でも、聴く人の魂を揺り動かそうと多くの作曲家が工夫を凝らしてきた。 その一つがソナタ形式を頂点とする音楽形式の発達である。楽曲を構築する、とりわけ交響曲のような長大な作品の場合には不可欠な楽曲構成理論で、 多くの作曲家がこの形式で珠玉の作品を残している。

 幾つかの際立った原則を持っているが、序破急書法も狭義ではこのような形式論のひとつである。 曲の流れの中にクライマックス(高揚・緊張の頂点)を配置するためにどれくらい音符の数(密度)、音量(強度)、速さ(速度)を増していくか (またどの程度音を高くしていくか)、 さらには全体の構成、例えばいくつかの楽章をもつ場合それぞれの楽章の時間的バランスをどう決めるか、などである。 《白峯》では三幕十二場の時間配分、幕(あるいは場)ごとに展開される音の増加の仕方など、その特徴が細部にわたって見られる。そのため曲全体の構造に破綻がない。 瞠目すべきは、それらの音エネルギー、時間構成の増加量をあらかじめ精神物理学の方法をもとに数式(方程式)化したことで、 これが序破急書法を思いつきや勘に頼らない楽曲構成理論として強靭なものにしている。
 この書法にはもうひとつ、次の項で述べる「非決定音楽」という独特のリズム観がある。それは楽曲の形式のみならず心理的、情緒的時間の制御にまで及ぶもので、 むしろこの書法の中心をなすものと言ってよい。事実、丹波がみずからの「序破急」書法七原則の最初にあげているのが「非決定性の導入」である。 この概念を取り入れたことで序破急書法は、音楽形式論・作曲理論の枠を超えて美学・文化論的様相まで帯びてくる。

決定音楽と非決定音楽
 一般に作曲とは1)旋律を作る、2)和音を作る、という作業である。この2)の和音を正確に演奏する(響かせる)には、複数の楽器が同じタイミングで発音することが必要で、 ドミソの和音がほしい時にフルートだけがひと足早く別の音(例えばファ)を吹けば指揮者は困惑するか激怒するだろう。つまり1)と2)の組み合わせで音楽を作ろうとすると、 必然的に拍節が要求される。ワルツは1、2、3、マーチなら1、2と数えなさい、八分音符は四分音符の半分の長さで演奏しなさいといった類いのものである。 また正確な和音をつくるためには、 全音半音の幅など音程の決まりが欠かせない。決定音楽とは、こうした音の長さや高さにあらかじめ決められた基準をもつ音楽である。
 一方、初期のグレゴリオ聖歌、仏教の声明の一部、尺八の古典本曲などには拍節という考え方がない。ある程度の(現実的な)限度はともかくとして音は長いか短いか、 高いか低いかである。発音された音は当然のごとく伸び縮みし音程は揺らぐ。時間の単位も尺八の一息分、ヴァイオリンの一弓分といった具合である。 このような音楽を我々のよく知る決定音楽に対して、非決定音楽と呼ぶ。人間の生物的感覚により近い表現が可能と言われる。西洋音楽の素養のある人がこのような 音楽に触れると途方に暮れるだろう。 数学的に定まった拍節がないからだ。決定音楽にも演奏法としてアゴーギグやルバート(拍の長さ速度の微妙な揺れ)があるが、あくまでも拍節の中での話である。
 《白峯》プロローグで演奏される前奏曲を例にあげよう。冒頭、トランペットが三つの高さの音をくりかえし強弱をつけながら演奏する。この部分には小節線がない。 基本になる拍の長さもあいまいなので、次に加わるべき楽器は、何小節目のどこから演奏を始めればよいかわからない。ではどうしているのか。聴いているのだ。 次の楽器(ヴァイオリン)のトリルが重なってくるのは、楽譜上ではトランペットが弱奏にかかるあたりだが、ヴァイオリンの演奏者は拍を数えるのではなく、 頃合いを聴いて演奏のタイミングを判断している。スコアの5ページ目から、木管楽器の一部とトランペットに小節線とメトロノームによる具体的な速度の指示がでてくるが、 その他の楽器にはまだ小節線さえ無い。曲が進むにつれ、互いがこのように聴きあいながら(実際には指揮者が聴きながら)つぎつぎと楽器が加わってくるが、 小節線がスコアを貫き、混沌としたオーケストラ全体に拍節が生じるのはやっと7ページ目からだ。前奏曲はここで一気に頂点に達する。
  能楽ではリズム構成原則としての序破急を次のように伝えている。
  序:拍節がない(非決定音楽)
  破:やや細かいリズムが生まれる(非決定音楽と決定音楽の混在)
  急:速い動きと律動性で高揚の頂点をつくる(決定音楽)
  もうお分かりであろう。この前奏曲も序破急を基調としているのだ。
 こうした非決定音楽の導入は個人的な趣味によるものではなく、丹波が音楽の芸術性とは何かという手ごわい問題に東洋、西洋の文化を緻密に 比較・分析することで立ち向かった必然の帰結である。 ではなぜこの21世紀に序破急なのか。
 彼は「能音楽の構造」・「日本音楽理論とその美学」の研究を通して、日本人の思考様式「成る創造観」という概念にたどり着いている。

 《白峯》の芸術的・社会的意味ー「成る」ということー
 和魂洋才、神仏混淆などの言葉は日本人の潜在意識にあるバランス感覚をうまく表現しているが、安易な模倣、曖昧な留保といった批判にさらされることもあろう。 しかしそれを丹波は、共存させることで新しいものに「成り」行くのを手助けする人間の営みとして肯定し、それが醸成するには時を待たねばならないと言う。 種を蒔き水をやり慈しむ。人ができるのはここまでで、新しい実が熟すのは果実そのものの力であると言うのだ。 この「成る」感覚は、雅楽が日本にもたらされた頃すでに私たちの祖先の無意識下にあったものだが、世阿弥が能を完成したことにより理論として整理され、 さまざまな伝統文化の底流となったのである。しかし明治以降、導入された西洋音楽を咀嚼するのに精一杯であった日本人には、身近にあるはずの伝統音楽を顧みる余裕はなかった。 西洋音楽を崇拝するあまり、蔑視することはあっても共存など思いもつかなかったのであろう。日本人音楽家があたりまえのように世界のクラシック界で活躍する今なればこそ、 置き去りにしてきたものを掘り起こし共存させることが可能であり求められている。文化・芸術の創造とは未知のものが出会い新しく変容した結果なのだ、 私たちの歴史はそう語っているのではないか?と丹波は問うのだ。日本を外側から俯瞰していた彼には、知識としての音楽と情感のはざまで窮屈そうに 肩をよせる私たちが見えていたに違いない。
 世阿弥は「成る」ことを作品の最終目的とし、序破急をその究極の構成原理と考えた。その思いの断片は、千年の時をこえて今なお私たちの意識の底に続いている。 丹波が見ているのはその悠久の流れである。

終わりに
 《白峯》は保元の乱を軸にした人間の愛憎劇である。丹波が題材としてこの物語を選んだのは、いつの世も変わらない人間の愚かで哀しい宿命をそこに見たからだろう。 このオペラの構想を最初に聞いたとき、「音の干渉」や「アドゥバイター」に見られる彼独特のグリッサンドやポルタメント、生物の気配を思わせる音群は このテキストにふさわしく思った。 しかし問題は歌である。その旋律がどのようなものになるのか、想像することは容易ではなかった。
 歌の部分を作曲するにあたり丹波は、旋律を四度(例えばド→ファ)基本のレチタティーボ(叙唱)とし、一般のオペラで聴かれるようなアリア(詠唱)を回避した。 作曲者にとってのこの決断は、メインディッシュの食材を取り上げられたシェフのようなものである。しかし聴けば分かるように、越天楽の旋律が織りなす複層的な響き、 物語が一気に動き出す鳥羽・中宮の二重唱など、そこで発音される日本語のなんと美しいことか。過剰な旋律をよりどころとするドラマツルギーではなく、最小限の音の動き、 語りかけるような歌が言葉を紡ぐ。このことで鮮やかに浮かび上がってくるのは、言葉本来が持つ響きと呪術性である。崇徳の怨嗟の声、西行の読経が物語に 生き生きとした命を吹き込んでいる。 それは言葉そのものが求める場所、たどりつきたい場所に音楽を作り上げた結果なのだ。西洋音楽の手法を受け入れつつ、日本語を前提にしたオペラの未来とはどうあるべきか、 丹波はその想いを次の世代へ託す覚悟でこの楽劇を書き上げている。現代日本オペラ史に刻まれるべき作品、と評される所以である。
 オンド・マルトノとピッコロが描く虫の声、夜の中庭の静寂(二幕二場)は、日本人がもののあわれとして長く親しんできたものだ。またエピローグで、 オーケストラと合唱が沈黙する中、 低く静かに流れゆく西行の読経は、古い記憶のように私たちの胸に迫る。それはこの楽劇が、知識としての音楽と情感を乖離させたまま100年をさまよう私たちに、 「成り行くもの」としてこれらの共存を提示してくれたからである。                                     (作曲家)


オペラ「白峯」初演によせて                        オンド・マルトノ奏者  原田 節

  いよいよ丹波明先生のオペラ「白峯」の初演を迎える日が近づいてきた。 間違いなく先生の『渾身』という単語でさえもどかしいほどに、命を削り、 芸術にその力すべてを捧げた作品が、多くの人々の心に大きな感動を喚起することになることは間違いない。 作品の完成に向け、また上演の実現のために、ほんの少しではあるがお手伝いをさせてきていただいて、 素晴らしいメンバーたちと一緒に音楽を奏でられる喜びはまた一入である。

  オンド・マルトノが二台、演奏陣に加わっているということで、若干の補足をさせていただたくと、 丹波明先生の作品には、すでにいくつかオンド・マルトノにとっての重要なレパートリーがある。 例えば、12台のオンド・マルトノ合奏のための「オンドモルフィーTOndemolphieI」 1998や2台のオンド・マルトノとエレクトリック・ギター、打楽器のための「トュルビュランス 乱流Turbulences 」 1978など、複数のオンド・マルトノから引き出される美しさに先生が注目されていることに気付かされる。
  確かに一台のオンド・マルトノですでに圧倒的に大オーケストラをも牽引していく、力強さや特異な歌心は他の作曲家でも、 すでに少なからずの例があるのだが、楽器自体が現存する個数も限られ、 その演奏のために必要な準備や修理も含め、演奏以前に相当な手間がかかることを思うと、 やはりパリを本拠地となさってきた先生だからこそ、ある意味大胆な起用が心理的な抵抗もなく、 サウンド作りの自発的なパレットとなったように思う。
  20世紀、特に戦後以降、オペラというジャンルは歌手の個人芸を単にご披露する場にとどまらず、 インストルメンタリスト=器楽奏者にも重要な進行上の役割やあるいは役、 技巧的にも非常にソリスティックな要求をされることが当たり前となってきている。 丹波先生の師であるオリヴィエ・メシアンのオペラ「アッシジの聖フランシスコ」でも歌手たちと並んで、 特に重要な演奏家たちの個別の名前がクレジットされることが慣例化されているが、それに比例して、 演奏するほうも並大抵でない準備が要求されている。
  一緒にオンド・マルトノを弾いてくれる市橋若菜さんは私にとって、最も古くからの生徒のひとりで、 始めのうちは、お互い遠距離楽器を運んで練習していたのだが、この頃はテレビ電話をネットでつないで、 合奏の練習をしたりという方法が結構出来ると気づいて、なんとか丹波先生のご期待に添えるべく取り組んでいる。
  パリに住んでいるからこそ、見えてくる日本文化の美を丹波明先生が感じ取られたうちの、 ほんのひとコマでも共有させていただければと望んでいる。                          2014年8月東京 


 ―― オンド・マルトノとは ――
1928年(昭和3年)にフランスで発明された電波楽器。音楽家であり、 電気技師でもあったモリス・マルトノ(1898−1980)によって発明される。 電気を使った楽器としては、世界で最も古いもののひとつにあげられている。  本体には鍵盤があり、その手前には一本の弦が横に張られている。弦には指輪がついているので、その指輪を動かすことによって音程を変化させ、 滑らかなポルタメントやビブラートを生み出す。鍵盤は両端を紐で吊られ浮遊しているので、指先でビブラートをつけながら演奏することが可能である。 左側引き出し内にトゥッシュと呼ばれる装置があり、音量や音価を変化させる。その総合的な演奏法は弦楽器に通じるところがあり、 様々に変化する微妙な音楽ニュアンスの表現を可能としている。本体の他には三種類のディフューザー(スピーカー)がある。 バネや弦、銅鑼などの振動力を用いて独特の残響を作り出す。  演奏者それぞれが独自の音楽表現を生み出すことのできる洗練された楽器として、今日までにフランスをはじめとする多くの作曲家達に取り上げられてきた。 メシアン、ジョリヴェ、ミヨー、オネゲルといった作曲家達をはじめ、20世紀の音楽史上重要な作品がこの楽器と共に数多く生まれている。 もちろんクラシック音楽だけでなく映画やCM、シャンソン、お芝居など様々な場面でオンド・マルトノの音は耳にすることができる。
〈名前の由来〉オンド(Ondes):フランス語で「電波」を意味する。マルトノ(Martenot):発明者 モリス・マルトノの苗字。
                              (オンドマルト奏者 市橋若菜さんのホームページより)


近藤さんの手紙
●平成27年10月12日、楽劇《白峯》のCDをお聴きになった近藤さんからご丁寧なお手紙をいただきました。 ご本人の了解を得まして掲載させていただきます。
●平成27年11月23日、丹波先生の「タタター」のCDをお聴きになった感想です。

北海道の近藤 薫でございます。 丹波先生のスコアと作品CDの貸与、誠にありがとうございました。 興奮冷めやらぬままに、この手紙をしたためております。
素晴らしい聴体験でした!
先生のオーケストラ作品では(未だ音盤化されていないクラヴサン協奏曲を除けば)、ピアノ協奏曲が、明快な筆致による傑作と思っておりました。 事実、この作品が先生の代表作のひとつとして語られることが多いのは、お能や序破急といった美学の面もさることながら、その響きの密度と 、数度のクライマックスにむけて高揚する曲想が(おそらくピアノという楽器の合理性も相まって)、聴衆にも判りやすく結実しているためではないでしょうか。
一方、ヴァイオリン協奏曲第2番やチェロ協奏曲は、弦楽器の性格もあってか、私には、外部=世界と拮抗する、内部=人間の声のように感じられます。 ヴァイオリン協奏曲の孤絶と晦渋さ(それを私は非常に好むものですが)は、チェロ協奏曲では星のように明滅する打楽器を背景に、 言葉の根源的な意味での「歌」を奏でます。
 弦の温もりはやはり、いのちの存在を深く感じさせずにはおきません。 ピアノ協奏曲と構造上多くの類似点を持つにも関わらず、 この作品は全く別の地平に立つ傑作だと思います。
しかしエレキ・ギター協奏曲は、また別種の驚きを禁じ得ませんでした。しかもその期待は全く裏切られませんでした。 これはピアノ協奏曲とならんで、 先生の協奏曲の傑作と思います。「独奏が華麗に活躍する協奏曲」を期待する向きには、この作品は、一見晦渋に感じられ、肩透かしを食らうかも知れせん。 しかし、音色の多彩さの面では随一の作品となっています。「アカルミー」、「オンドモルフィー」、 「テュルブランス」といった諸作品で先生が長年追求された電気楽器への偏愛と、コンクレート音楽の 始祖・シェフェールらとその可能性を探求した電子音楽での経験が、 非情に高い次元で融合した、奇跡のような作品になっているのです。
「エレキ・ギター」を独奏とする協奏曲は(歴史の浅い楽器ゆえ、当然ながら)さほど多くはありません。 思いつくまま作品を列挙すると、ベルギーのルック・ファン=ホーヴの作品は あからさまなロックへのオマージュとブルックナーの引用がカッコイイながら「ま、こんなものだろうな」的な作品となっていますし、 ロシアのセルゲイ・スロニムスキーの協奏曲に至っては、60年代ポップスや映画音楽の曲想に赤面するほど寄り添った作品となっています (旧ソ連ではやむなしか?)  
つまりポピュラー音楽の呪縛から逃れられていない訳です。 わずかにポーランドのコトニスキの協奏曲と、わが国の野平一郎氏の作品だけが、 現代の芸術と呼ぶにたる抽象性と内実を備えているように思われます。
そこで丹波先生の作品です。この協奏曲では「曼荼羅」、「アドゥバイタ」、「オリオン」といった諸作にみられる 独奏楽器と管弦楽によるドラマはひとまず背景に退き、 両者は渾然一体となって灼熱の宇宙賛歌を奏でます。 その濃密な世界は、すでに序破急の美学すら超えて、 無限の宇宙空間に屹立する光芒のように感じられます。  湾曲するギターの音色は、乱反射する太陽のプロミネンス=紅炎のよう、それに拮抗する打楽器と管弦楽は、 膨張と収縮を繰り返す宇宙エネルギーの分子運動そのものです。  凡俗な人間界を越えた、太陽をめぐる宇宙の寸刻を切り取った音楽がここにある、と申せましょう。
お蔭でまたひとつ、大きな夢が叶いました。CDは感謝をこめてご返却させていただきます。本当にありがとうございました。 アンケート、感想など皆様の声
多くの貴重なご意見、感想をお書きいただき本当にありがとうございました。今後の再演の時に生かしていきたいと考えています。

   名古屋公演 アンケート    東京公演アンケート    新聞・雑誌による
   メール・手紙などによる     白峯の批評    ツイッターによる


2014年9月26日名古屋公演 アンケート 
◆ ご感想をお聞かせください。◇  三択( 良かった ふつう 良くなかった )

◆大変冒険的な作品であったように存じます。迫力のある演奏でした。ただ全編重かったのが、つらいとも、今少し崇徳上皇に救いのあるラストであれば、と思いました。  ◇良かった

◆崇徳院と西行の話が好きで来ました。音楽の知識は皆無ですが、西行と崇徳院が邂逅するシーンの雰囲気は白峯の山を想起させられました。 人の死を鐘で表現されたり(?)夜の庭の風景等もとてもイメージしやすかったです。崇徳院の西行を呼ぶ声に、うらみだけでなく、 未だ絶望からの助けを求めているようで切なかったです。願わくば舞台装置等を使用したものを見てみたいです。再演をお待ちしています。省略部分を見たいです。  ◇良かった

◆青海波の舞いに、フルート・テインパニーの音がまるで笙・和太鼓のようによく合っていて感動しました。  

◆初演のためか、まだまだ内容をふまえた表現に至っていない気が(特に男声)しました。(失礼お許し下さい)。入内→じゅだい ではありませんか。(じゅだい が普通ですが、音の関係でにゅうないになりました)明るい場面が省略させているためか、全体に暗い印象をもちました。明暗の対比をもっとつけてくださるといいのでは。会場のため、やむをえないのですが、コーラスが聴きづらく感じました。 アリアがあるといいですね。  ◇ふつう。

◆字幕が中途半端、出すなら歌詞か時代背景か、徹底してほしかった。  ◇良かった

◆苦労した表現だとは思う。途中の保元の乱に出て来る武士の装束、あれは古代の服装。時代考証を学ぶべし。  ◇良くなかった。奇をてらった作曲、振り付け、不協和音の連続、疲れた。

◆歌を全てスクリーンに出して頂けたらもっと分りました。

◆◇良かった。

◆曲はとてもおもしろかったです。(白峯という発想も)。なんとなく、歌のメロディーがもったいない気がしました。おもしろい演奏が聴けたのは良かったです。  ◇ふつう。

◆とってもステキで、内容もわかり易くよかったです♪ また聴きに行きたいと思います。  ◇良かった。

◆意欲あふれる世界初演の演奏の場に立ち会えたのは幸せでした。少し残念だったのは、字幕の出ない部分の歌詞が聴き取りにくく、わからないところがあったことです。しかし、出演者の皆様全員の熱意がしっかり会場に伝わり、感動の舞台でした。オンドマルトノの音がソロで聴いてみたかったです。  ◇良かった。

◆試みはよしとするが、現代音楽は面白くない。殆んどレシタテーヴを聴いている感あり。大がかりな楽器群の労力と演奏は大変だったが成功したと思う。

◆可成りボリウムの在る大作でした。実際のセットが在れば一層素晴らしかったと思います。石井歓先生の作品を少し思い出しました。東京公演で大団円してください。  ◇良かった。

◆完全版の上演を希望します。  ◇良かった。

◆三幕が素晴らしかった。丹波さんとオケの皆さんにブラボー。観客のマナーが悪い。演奏中の会話、パンフのすれる音、カバンのファスナー、今一度注意の喚起をお願いします。  ◇良かった。

◆いやあ…面白い。雨月物語のエピソードだけで物語が描かれるのかと思いきや、保元物語以下の話で崇徳院の生い立ちにいたる因縁、そして宮中の権力争いが劇的に描かれ、物語の世界にグイグイ引き込まれていきました。私は平家物語が好きで、清盛の物語は子供の頃から何度となく触れてきました。しかし、この保元物語あたりの話は大人になるまで知らなかったので、初めて知った時の衝撃は忘れられません。その世界がこうして音楽にのって描かれることは、さらに大きな衝撃となって心に刻み込まれそうで何度でも繰り返し観たい作品。 物語の筋がある程度わかっていれば、どっぷりとハマる世界ですが、周りの方々の意見をうかがうと、少し戸惑っておられるようです。これだけ有名な物語なので、ネタばらしうんぬん、という心配は無いはずなのですが、今回のプログラムのような冊子を前回の定期演奏会あたりで配布せれていれば、あらかじめ予習できたのではないでしょうか? まあ今日は、初演です。できれば何度でも再演して作品を理解する機会をつくって欲しいです。今回限りで評価されるのは惜しいです。  ◇良かった。

◆もう一度聴きたい。  ◇良かった。

◆生の音楽にふれる機会をもて、それが白峯であることに幸福を覚えました。ありがとうございました。  ◇良かった。

◆期待以上でした。  ◇たいへん 良かった。

◆定期会員故に聴く機会に恵まれました。オンド・マルトノも効果的で、メシアンの曲のような響きを感じました。  ◇良かった。

◆セントラル楽団の方々の会には、はじめて参加させていただきましたが、とても意欲的ですばらしい出来上がりだと感じました。ありがとうございました。  ◇良かった。

◆この曲をもう一度聴きたいとは思わない。  ◇良かった。貴団と共演したことがあります。

◆作曲が素晴らしいと思いました。ドラマチックで、表現できない音はない!≠ニいう感じでした。  ◇良かった。

◆衣装がもう少しちゃんとした方が良かった。声が少し聴きづらかった。でも、内容は100点です。

◆オンド・マルトノがとても効果的でした。能、狂言、雅楽に関心があるので、とても楽しかった。  ◇良かった。

◆失敗だと思う。  ◇良くなかった。

◆オーケストラもソリストもコーラスもとても良い。しかし、セリフが説明ばかりでつまらない。能楽に近い構造、音楽、コトバだが、コトバが擬古文というだけで謡曲の詞章の華やぎもあわれもない。作曲者が台本も書いたようだが、台本はもっと手を入れるべきだった。越天楽や和歌の引用のところだけ花がある。音楽的にも謡曲にはアリアとよべる部分もあると思うし、それがなければ感興がうまれないと思う。

◆素晴らしいです。ありがとうございます。

◆率直に、曲が難解な上に歌詞もむつかしく、聞きとれず追ってゆくだけでいっぱいいっぱい。オケが強い感じがした。曲の方は(音の配列)そのうち慣れたが、一度だけでは消化不良になりそう。歌手の方はよくがんばっておられました。自分にもう少し能力があれば良さがわかるかもしれない。内容自体暗いので、せめて体調がいいときに聴くべきと思いました。  ◇何とも言えない。

◆すごく良かったです。また、みたいと思いました。

◆崇徳上皇に関心があり、讃岐の850年忌に参列させて頂き、今回京都から足を運ばせていただきました。お能を想わせる舞台と詞書のうつくしさ、そして左舞と右舞の装束で各々舞人の方が登場して下さった演出、最初に段の上下で陵を想わせる舞台をかたちつくって下さったことがとてもうれしかったです。字幕も分りやすく有難かったのですが、今様の詞で「こそなかりけれ」が「こそなかりける」になっていたり、西行法師が崇徳上皇と対峙するところだったと思うのですが、崇徳院のまつりごとをされていたことを表現する過去の「し」が「る」の現在になっていたりするなど一部まちがいが目立ったのが非常に勿体なかったです。ですが、本当に素晴らしい空間を有難うございました。読経の後、現れた崇徳上皇の肖像画も微笑んでおられるように見えました。 白峯神宮での奉納も拝見させて頂きたかったです。 京都公演(全幕)を是非よろしくお願いいたします。東京も拝見したかったものの日程の近さと距離で難しい面がありました。  ◇良かった。                                             
2014年9月28日東京公演 アンケート
ご意見、ご感想をお聞かせください。◇今後《白峯》の本格的オペラ上演をのぞみますか。

◆すばらしかったです。西行花伝をまた読みたくなりました。  ◇希望します。

◆字幕があったのでストーリーが分かりやすく良かったです。繊細で重厚なオーケストラ、素晴らしかったです。  ◇望みます。

◆大ホールなのでマイクが入っていた。地声で聴きたかった。舞台に問題があって、劇にあまりなってなかった。費用の問題があるのか。脚本のような舞台設定を見たい。  ◇望む

◆アイディアも演奏もとても独創的で良かったです。  ◇望みます。

◆能楽(仕舞・謡曲)を習っているので、大変興味深く聞かせて頂きました。(古語)によるオペラは新鮮味があり、是非世界の方にも聴いていただけると良いと思いました。仏教の鎮魂テーマは、普遍性があると思います。  ◇是非実現すれば鑑賞したいです。

◆楽曲・構成ともにとても素晴らしかった。もちろん、演奏も素晴らしかった。特にオンド・マルトノや横笛(ピッコロ?篠笛?)の活躍が印象的であった。ソロや合唱もそれぞれよく、特にプロローグとエピローグの読経が印象的あった。ただし、レスタティーヴォが朗々と続く場面が少し単調に感じられたが、他のオぺラでもよくあることなので。 パワーポイントを使ったことも良かったが、歌詞の映し方が中途半端で、その点は少し残念だった。  ◇望む。今回は演奏会形式とは言え、衣装を着てそれなりの演出がされ、舞楽も演じられたが、やはり楽劇であるかぎり、大きな困難があるとは言え舞台で演じ、今回カットされた部分も含めた完全版を見てみたい。

◆日本の歴史を楽劇に、すばらしく感動しました。  ◇是非素晴らしいオペラを他の日本人にも見て欲しいとおもいます。

◆素晴らしく、メロデイーが幻想的!!感動いたしました。(出来れば台本が全部出ると良いのですが…)  ◇是非とも本格的オペラ形式にしてほしい。

◆素晴らしいの一言でした。  ◇望みます。

◆藤原王朝末期武士の台頭により、時代が大きく変る頃の話、大河ドラマ清盛でもとりあげていたが、今日は楽器と声で物語りを展開、なかなか雰囲気が出ていました。小生は能謡でこの時代のことを繰り返し楽しんでおります。  ◇良いですね。

◆前半(前から1/3位)迄のストーリーがわかりにくかった。中程からは慣れたこともあってか良くわかった。  ◇楽劇を初めて見た(聞いた)ので良くわからない。

◆仏の作曲家、丹波明さんの今回の作品感激しました。ありがとうございました。

◆世界初のオペラとのこと、まず感動いたしました。ききごたえのあるスバラシイものだと思いました。  ◇是非本格的なオペラ上演を望みます。あまり知識のないものが、このようなことを申し上げるのは申し訳ありませんが。

◆素晴らしいの一言。  ◇もちろんです。

◆すばらしかったとおもいます。私は今年、カルチャーで方丈記、平家物語をやり、平家物語は二度とできません。むごく悲しくて。その時代をみごとに音楽に再現なさったこと感動しました。  ◇望みます。

◆大変すばらしく感激し、かつ楽しみました。曲は各場面毎にふさわしく表現され、特に管とパーカッションを有効に用いていました。歌い手もそれぞれのキャラクターがはっきりしていて、字幕も理解する助けになりました。私はクリスチャンですが、最後のお経を戦いの絶えない、人間の罪への神への救いの祈りに聴きました。  ◇勿論です。

◆コーラス、演奏、歌、力強くすばらしかった。

◆感動の一言です。  ◇是非再度お願いします。

◆オーオー、ヤーヤーは、能のユリを取り入れられたのでしょうか。素晴らしい作品だとおもいました。  ◇はい。

◆音楽に対して、かなり保守的なほうなので、このオペラの音楽にひたりきることはできなかったが、第三幕の完成度の高さは、私なりに感じとれた。台本の一部が舞台に投映されたが、すべて投映していただいた方がよかったと思う。耳からだけでは、とても理解できなかったから。

◆迫力ある演奏を楽しく鑑賞させて頂きました。

◆和とオペラのコントラストが初めてで興味深かった。

◆作曲家の偉大さを大いに感じました。もう一度聴きたいです。演奏された皆様に感謝!!  ◇もちろんです。

◆すばらしかった。現代の日本のオペラの代表として後世に残る事を望みます。 ◇勿論です。

◆見間違いかも…ですが、出演者でピンマイクを使っている人がいたように見えました。マイクを使わないのが、オペラだと思っているので、事実だとしたらあり得ないことです。また、マイクを使っていない人の声量が無い、と思われるのも気の毒です。 ◇ピンマイクを使っての上演でしたら望みません。

◆最初に出ていた字幕が、すぐに出なくなって故障かとおもいました。ほとんど聞き取れましたが、オケの音が大きいところでは難しく、字幕があればと思う箇所が少しありましたが、中途半端にあるよりは、全てあらすじのみの方が良いと思います。動きで説明できない部分の補足説明は適切で助かりました。  ◇半分位。歴史に詳しくないので、今日のように系図が出たりする形の方が理解しやすいかと思いました。

◆素晴らしい!二幕から聴かせて頂きました。  ◇是非望みます。

◆すばらしいの一言で、演奏家、声楽家、作曲家共々。NHK深夜便で知りました。

◆16頁、第二幕、第三場 コーラス(六部)の出だしの「鳥羽帝」は「崇徳帝」の間違いではないですか? (間違いではございません、よく似ていますが。) ◇はい。

◆良かった。台本すべて字幕があった方がわかりやすかったと思う。  ◇望む。

◆  ◇お願いします。

◆素晴らしかったです。熱演本当にありがとうございました。大好きな崇徳院の物語を、こうして調べと歌声にのせて聴くことができ、感謝の気持ちで一杯です。お疲れさまでした。  ◇ぜひ観劇させていただきたいです。本格的なオペラになる日を待ち遠しく思います。

◆丹波先生の作品を、素晴らしい演奏で聴かせていただき、どうもありがとうございました。  ◇ぜひオペラ上演で再度聴くことができるのを、楽しみにその日をお待ちしています。

◆つまらなかった。とても壮大な物語なのでコンサート形式では無理である。オペラと説明にあったので見にきたら、ほとんどオーケストラで期待はずれ。この作品は能か朗読劇で行った方がよいと思った。字幕も指揮者にかくれてほとんど見えなかった。字幕は2カ所つけてください。(左右に)声楽の方も後方でなく前で歌ったほうがよい。チラシには最寄りの駅か地図を記載してください。  ◇オペラにするのはむずかしい。やるならもっとテーマをしぼりこんで見せ場を作り舞台演出者の意図するところを明確にした方がよい。

◆素晴らしい、世界に通用する楽劇、感動しました。また次の機会を楽しみにしています。上智の木越先生のもとで雨月物語を学びました。またアマチユアオケで弦楽器を演奏しているものです。今回の演目を楽しみにしていました。  ◇はい、本格的舞台でさらに魅力を増すでしょう。

◆もう少し人間関係をわかりやすくしてほしい。  ◇望む。

◆すべてのセリフに字幕をつけてほしかった。

◆題材はいいとおもいます。台本は読んでいると思わないですが、耳で聞いていると「阻止」など耳立つ言葉(特に漢語)がありました。また、数百はスヒヤク、75代はシチジュウゴダイの方がよいのでは。なぜ崇徳がこれほど怒ったのか、魔道に堕ちたのかが描ききれていず、惜しいと思いました。西行は立派ですが、元北面の武士が崇徳院のことを長々きくのはおかしいと思います。(配所での生活をきくのはあると思いますが) 白河院もなかなかよかったです。鳥羽帝と崇徳帝の年齢差(親子―表向き)をビジュアルで表せなかったかと思いました。ちょっとわかりにくかった。二人の衣装はなかなか考えられていました。白河院もあの直衣風の方がよいのでは?

◆演奏会形式は初めての体験でした。中鉢聡さんのファンなので、リサイタル等のDMが欲しいです。

◆出演者の演奏が素晴らしかったです。  ◇はい。

◆初めて日本人の作曲のoperaを聴き、大変おもしろく聴き入りました。  ◇Yes

◆とても迫力があってすばらしかった!でもせっかくの2台のオンド・マルトノがもっときこえてほしかった。  ◇ぜひ!

◆字幕が出たり出なかったり、初演なのだから全部字幕を出しなさい。音楽や歌はよかったのに、物語の理解が不明だ、前もって若干の知識はもって臨んだが。初めにパンフレットを渡されても暗くて読めない。お客さんを楽しませるのが目的なら全部字幕を出しなさい。大失敗です。音楽と歌はいいのだからもったいない。字幕を全部出しなさい。演出が良くない。

◆字幕の利用に工夫をしてください。歌詞をはっきり表示して欲しいと思いました。  ◇ぜひ!

◆私は崇徳院の陵のある坂出市から参りました。地元では、かねてより上皇をテーマにあらゆる方向から、まちおこしにつなげておりますが、このように東京発信をしていただいて非常に嬉しく思っております。ただ一点「直嶋」が気にかかります。残念です。  ◇大いに望みます。

◆大変満足した。オンド・マルトノを聴くのは2回目だが、そのせいか全体にメシアンの「聖フランシスコ」のオペラを思い出した。狂言の方のムードもよかった。指揮者のUとかWとか指の合図も「何かしら」とちょっと面白かった。想像以上によくできていた。すばらしい指揮と歌い手に拍手。

◆崇徳上皇の森の中の墓前の幽玄なかんじが、現音の曲ですばらしく合った。怨みのこもった感じなどすばらしく表現された曲だったと思う。日本の題材で、今後、世界に持ちゆけるオペラではないか。間に狂言の戦いの舞いなど、よく合っていた。舞台のオペラでなくても、幕での解説(森の中のイメージなど海外ではその国のことばで)で公演できるのではないか。

◆解説の垂れ幕は不完全でした。非常に実験的で興味深かった。打楽器がよかった。  ◇望む。

◆古典の作品をどう表現するのか興味があった。各楽器が雅楽の音色をだしていて楽しめた。  ◇今後むつかしいかもしれませんが、改良を加えて続けられることをのぞみます。

◆すばらしかった!!長期間の台本、作曲だったのでしょうか?本当に細部にわたり、よくできていると思いました。いうところなし、という感じです。心がいっぱいでした。   ◇よくわかりません。

◆日本の演奏会形式のオペラとして画期的な作品の初演に立ち会う事が出来て幸せです。作品のみならず、すばらしい演奏に感動いたしました。  ◇望みます。

◆引き込まれるように拝聴しました。日本の歴史を取り上げたオペラを初めて聴きました。感動いたしました。  ◇是非上演していただきたいです。

◆本当にほんとうに素晴らしかったです。このすばらしさをもう一度体験したいと思いました。  もう一度いえもう二度、三度、拝見したいです。  ◇もちろん、望みます。

◆大変良かったです。小生などは音楽を聴いていると眠くなる質ですが、あの音楽(音響)には心から引き込まれ、時間 も忘れて聴き入りました。私達日本人の魂(心)の隅に共震する何物かがあるように感じられました。丹波先生の発想は 素晴らしいと思います。(ソリストの言葉がもっと日常語に(?)なれば解り易い。プロジェクターをもっと 用いてはと感じました。)  ◇望みます。(歴史や音楽に興味のある方のために)


丹波明 インタビュー 

日仏現代音楽協会の名誉顧問であり、80歳を超えられた現在もフランスと日本を中心に活躍されている作曲家兼音楽学者、 丹波明先生が当協会のインタビューに答えて下さいました。 半世紀以上も前に船でフランスに留学された当時のこと、メシアンの教え、 今年9月26日に名古屋、28日に東京で初演されるオペラ「白峯」についてなど、たっぷりとお話を伺うことができました。その様子は下記特別インタビューをクリックしてください。   
 特別インタビュー
        
 新聞・雑誌による
   ぶらあぼ7月号  


メール・手紙などによる
大きな仕事を無事終えられて、いまほっと肩の荷を下ろされておられるのではないでしょうか。
ホールを埋め尽くした観客に、私もとてもうれしく思いました。
娘夫婦の関係で、年に数回はオペラを観劇する機会がありますが、日本語オペラは滅多にありません。 青島さんという方のオペラが唯一、日本語ですが、それも翻訳オペラです。
昨日の「白峯」は、音楽がいわゆるアバンギャルド的(といってよろしいのか)で、歌詞も朗々と歌い上げる形で、いままで体験したことのない世界でした。 最初はちょっと戸惑いがありましたが、しばらくして耳がなれてくると、舞台全体が一つの世界にみえてきて、次第に一体感を感じるようになりました。 このような作品を一から立ち上げ、ここまで仕上げられたスタッフの方の熱意にほんとうに頭の下がる思いです。
お疲れ様でした。そしてありがとうございました。  S・S

ホールがすごく賑わっていて丹波先生の日本での影響力というか、今回の作品の注目度を感じました。
僕は最上階の学生席で聴かせていただいたのですが、やはり音になる、ということが作品にとって一番大事なことなのだなと感じました。特にオペラのような文学性の強いものは聴衆に発信しないと意味がありません。 オペラほどの規模の大きいものになると、演奏される予定がないと取り掛からないのがもはや通例になってきていると思われる現代で、自ら企画され、台本も執筆され、大オーケストラと合唱、 ソリストのために作曲されるという先生のバイタリティーを感じ、作曲家・芸術家としてのあるべき姿を考えさせられました。
僕がもともと興味をもったのは序破急形式そのものでしたが、やはり形式にはこだわっておられるのもあって、構成がすごく面白く感じられました。 長い作品でも飽きさせず、最後まで一貫性を持たせておられましたし、雅楽の挿入とそこからの移行もすごく自然であったことには驚かされました。
今回のオペラ(演奏会形式ではありましたが)で一番感じたことは、やはり日本人作曲家は、日本の音を書かなければ意味がない、ということです。 私自身もともとそういうものは感じていたのですが、今回丹波先生の作品を聴いてその思いがより一層強くなりました。私も日本人として、日本人にしか書けない作品を書けるように精進していこうと思います。
今回はすごくお世話になりありがとうございました。またお話できたらいいなと思っています。 今回の公演は大盛況だったと思いますが、やはりオペラとしての姿としては不完全だと思うので、オペラとしての舞台公演も楽しみにしております。  東京藝術大学音楽学部作曲科  H・H

昨日、『白峯』大盛況でした。音楽もクラッシクオーケストラの範疇より飛び出した表現力・演奏で驚きました。異色の楽器のオンド・マルトノも自然に包み込まれるような感じでした。 映写による満月、暗い森、阿弥陀経も良かったと思います。狂言師の舞も舞台を引き締めておりました。歌手は西行法師役の方が素晴らしかったで す。今までの悲劇であっても娯楽性を重視してきたオペラとは異にした直球を投げられた感じがしました。
終了後、友達とお茶を飲みその時の感想です。「合唱が良かった」「女性が怖かった」「3.11後の世界を感じ る」「不条理な人生を送ってきた人たちすべてに捧げている」「演奏が素晴らしかった。面白い音だった」等々です。  I・K

昨日はありがとうございました。 楽劇というのをはじめて観ました。良い機会をいただきありがとうございました。
オーケストラで和楽器のような旋律を奏でて、演奏も演者も素晴らしかったと思われます。ですが、崇徳院ということでテーマが重く、初心者には少し難しいと感じました。婚儀の場面、乳母の場面などは、 すこし「陽」を感じる旋律があってもいいのではと思いましたが、崇徳院の救われぬ心はあのようなものだったのかもしれません。素人の感想で的外れかとおもいます。ご寛容ください。
今年は秋の訪れが早いようで、とても爽やかな日に「芸術の秋」を満喫いたしました。ありがとうございました。  M・Y

先日は、素晴らしい世界にご招待頂きまして有り難うございました。
留学中のドイツでは経験はあるものの、日本でオペラを観たことはなく、初めてのことで、しかも阿弥陀経があのような音楽のなかで、唱えられるのは初めてで、 嬉しゅうございました。その上に、貢献らしい事は何もしないのに、丹波先生にもお目にかかることが出来た上に、ご馳走にあずかりまして、 まことに有り難うございました。その折撮りました写真数葉、記念のために添付いたします。まずは、取りあえず御礼までに。家内からもよろしくと申しております。  S・M



2014年9月28日、すみだトリフォニーホールにて楽劇「白峯」を観劇した。まず第一に初演の瞬間に立ち会えたことを大変うれしく感じた。
曲に関しては、あのように繊細で複雑で、音響などにもかなりこだわられたものだとは思いもよらなかったので大変驚いた。
楽譜を見てみたいと思った。
また、オンド・マルトノという楽器の存在を初めて知り、とても興味深かった。わたしが知らなかっただけで、周知された楽器なのかもしれないが、特殊楽器の解説などがパンフレットにあってもおもしろいかと感じた。
台本をざっと読まないとストーリーが分かりづらいと感じたので、パンフレットにも相関図や簡単なあらすじが掲載されていれば、音楽と物語に初めから集中して聴けたのではと感じた。
お経に音楽がつく、というのは聴いていてとても新鮮で、音楽の可能性を感じた。演奏会形式での上演でも、数々の方々のご尽力があって実現されたことと思うが、 今度はぜひ完全なオペラの形で観てみたいと感じた。  短音生A

「序破急書法」「日本の題材」「古語に音楽をねせる」というどれをとっても非常に興味をそそるオペラで、たいへん楽しみにしていました。
以前、新聞広告で面白そうだと思ったことを記憶していました。
 まず、すみだトリフォニーホールに着き、同じ建物の中にホテルがあることに驚きました。受付を済ませるとビニール袋に入ったチラシの束が2袋渡され、量の多さにも驚きました。 更に内装が美しく立派なホテルのようです。
私が行ったことのある大ホールは、立川市民会館(改装前の)、サンパール荒川、かっての新宿コマ劇場、何十年も前の中日劇場ぐらいで、 比較対象が少なすぎるのですが、すみだトリフォニーホール、素敵です。錦糸町という場所がらカフェスペースのテーブルに置いてあるお砂糖入れやミルク入れなどが、 おわんや升であったりして江戸情緒を演出しているところなど遊び心を感じました。そして何といってもホール舞台正面のパイプオルガンと、左右壁に斜めに走るバルコニー席(と呼べるのでしょうか?)に目を奪われました。
今回の演奏会は手前側にオーケストラ、奥に一段高い舞台をおき、歌い手、舞い手はパイプオルガンを背景に歌い、舞いましたが、またそれが不思議な雰囲気で、 おちついた重厚さとやわらかさの中でおどろおどろしい恐怖を感じるような劇、歌が演じられました。
内容については、音楽が現代音楽であり、題材が題材ということもあり、はじめから終わりまで、不安定な音の重なりがずっと続き、時々ゆうれいでも出そうな背筋がぞくっとするような合唱が入ったり、 おたけびのような歌声が入ったり、決して楽しくはない舞台でした。
しかし、初めての体験がいろいろでき、とても有意義でした。巨大な鐘(お寺の)、たとえばホール全体が巨大な鐘で、その中に私たちが入っていて、 外から打ったら、ありとあらゆる響きの交じり合いの中で私たちが感じる音はあのような演奏と近いのではないかと想像してみました。
私個人としては、ぜひ演奏とともにオペラの舞台として観てみたいと思いつつ、もしかしたら日本人よりも外国人特に西洋人の方が興味を持ち喜んで観てくださるのではないかとも思いました。
また、ことばについてですが、現代語よりも古語の方が声楽できくと心地よいように感じました。ありがとうございました。とてもとても興味深い公演でした。 このような新しいオペラが発信されていくこと、また、その制作に関わる先生の生のお話をうかがえることにワクワクします。  短音生B

・会場について
 すみだトリフォニーホールはクラシックのコンサートを聴きによく行ったが、3階席で聴いたのは初めてである。舞台まで少し遠く感じたが、全体が見渡せるので人の出入りや武器の手渡しの瞬間などが見られ、 別の楽しみ方ができた。通常の演奏会は2時間程度だが、今回は3時間近くかかったこともあり、椅子の硬さが少々気になった。
・演目について
 保元の乱について頭に入っておらず、擬古文も使われていたので分かりにくいかと思ったが、舞台上のスクリーンに場面が変わる都度、人物関係図が映し出されたため、思った以上に分かりやすかった。
オペラは歌詞を聞き取るのが難しいと思うので、出来れば歌詞も全部スクリーンに映し出してくれると良かったと思う。何て歌っているのか、暗闇の中で台本を確認することは困難であり、 またせっかくの舞台にも集中できなくなってしまうからだ。
 舞台上の演出としては、ライトが非常に効果的に使われていたと思う。崇徳院が亡霊になっていくところは赤く、恨みがふつふつと沸き上がってくるかのように。 また、第二幕の中庭では、夜を予感させるよう青く静けさを演出。曲の雰囲気とライトの使い方が合っており、歌い手が演技をしているわけではないのに話の中に引きこまれる感じがした。
 一つ残念だったことは、第二幕の非常に静かなところでお客さんがホール内に案内させてことである。演奏会全体が一つの作品のため、幕が変わるタイミング等で遅れてきたお客さんを案内することは必要だろうが、 タイミングによっては足音が非常に気になってしまうので気をつけたいところである。
 今回の演目は世界初演ということだが、古典作品(雨月物語)が題材になっているのに電子楽器が使われていたり、生の声だけでなくスピーカーを通すことで幻想的な雰囲気を出したりと、音楽の作り方が面白いと思った。
次はコンサート形式ではなく、ぜひ本格的なオペラの形で見てみたいと思う。  短音生C

 おどろおどろしい、不気味な雰囲気の音楽から舞台は始まった。オーボエがリード単体で演奏したり、フルートも頭部管だけで奇妙な音程を出したり、弦楽器はコル・レーニョ奏法を多用したりと、 オーケストラ演奏は特殊奏法が満載で、視覚的にも一気に引き込まれてしまった。そこへ重なる唸り声のようなお経の合唱。人間の憎悪が渦巻く『雨月物語』にぴったりの幕開けとなった。
 今回の演奏会で特筆すべきは、第二幕五場「戦場の場(保元の乱)」でのオーケストラ演奏であろう。舞台後方で行われた役者による舞と相成って、激しい戦の様子が目に浮かぶような鬼気迫る演奏であった。
 しかしながら、個人的な感想としてはやはり日本語で「オペラ」を聴くということには終始違和感が拭えなかった。
「オペラ」と聞くとどうしても「カルメン」や「椿姫」あるいは「魔笛」といったような王道作品を思い浮かべてしまうし、その印象が強い。 歌詞が日本語なので、ストーリーを理解する点では非常にわかりやすかったのだが、 ただでさえ平坦な日本語、それも擬古文をオペラにする、という設定には些か無理があるように感じた。言語が平坦な上に旋律にも抑揚がなく、 「なぜ能や狂言ではなくオペラを選んだのか」という疑問が拭い去れないまま終わってしまったという印象を持った。個人的にはそれを理解するには至らなかった。
また、もしこのような斬新なスタイルで「オペラ」を貫くのだとしたら、完全な字幕を舞台上の画面に表示して欲しかったとも感じた。いくら母国語で聴き取れるとはいえ、 画面上で浮世絵や対人関係図を表示している時間が長すぎたため、あまり作品に入り込めなかったのが残念に感じた。暗闇でプログラムを読むこと自体困難であるし、またもしも読めたとしても周囲の人が演奏中にプログラムを熱心にパラパラめくるという状況は「オペラ」には不適切だと思う。  
しかしながら、仮に自分自身でこの演奏会の情報を見つけたとしても、会場に足を運ぶことはおそらくなかったのではないかと思う。それ故に、この日の体験は非常に貴重なものとなった。日本独特の文化について、また日本人が西洋音楽をやるということについて、改めて考えさせられたからである。  短音生D

・日本の題材を、琵琶や尺八、三味線等の日本楽器による演奏を伴って鑑賞する機会はあったものの、西洋楽器で表現した演奏会は初めての体験であり、非常に刺激的であった。また、全体の雰囲気が日本楽器によるものとは異なる趣きとなっていると感じた。
・普通のコンサートだと観客は幅広い年齢層のことが多いように感じるが、当観客の大半が60歳以上のように見受けられた。これは元々狙い通りの観客層なのか興味がある。
今後、日本人口に占めるシニア層の割合が圧倒的に増えていくことを考えると、シニア層をターゲットとしたビジネスがこれから先、最も伸びていくのかと改めて思った。
・2020年オリンピック開催や「和食」のユネスコ無形文化遺産登録等で日本が注目を浴びている中、日本独特の文化、価値観及び歴史をシニア層のみならず若い世代が改めて芸術を通して学ぶことは、海外の人達との交流及び自己の視野を広げるうえで非常に有効なことであると思う。  短音生E

・初演の曲にもかかわらず、大ホールの1階がほぼ埋まる盛況だった。いつ頃からどのように宣伝や集客が行われたか教えていただきたいと思った。
・ホールの響きが良く、歌や楽器の生の音が満喫できた。今後も、音楽はできるだけ良いホールでライブで聴いていきたいと感じた。
・チラシに会場の案内図を入れていただけるとよかった。
・舞台上のスクリーンに物語の解説や人間関係や台詞の一部が流れ、理解の助けになった。しかし、できれば台詞すべてを、海外オペラ公演の字幕のように出していただけるとよかったと思う。(台詞は昔の言葉であり、また、客席は手元が暗く、プログラムの細かい字の台本を読みながら聞くのは難しいためである。)
・(音楽専攻の関係でオーケストラについ目と耳が行ってしまい)特殊奏法で音響効果を出したり、普段あまり見ない楽器も使って物語の世界が作られていた点が特に興味深かった。 プログラムにも曲(音楽そのもの)や楽器の解説があるとよいと思った。(世界初演のため難しいかもしれないが)。  短音生F

 ツイッターによる
現代音楽のデータを紡ぐ@CCMJ20002014-09-26 09:01:32 2014.9.26 (金) 18:30-、楽劇《白峯》、三井住友海上しらかわホール 、 出演: 指揮 井ア正浩 / 演奏 セントラル愛知交響楽団 他 作品: 丹波 明/楽劇《白峯》

東京ハッスルコピー@hustlecopy2014-09-26 11:26:26 【楽劇「白峯」丹波明 台本・音楽】丹波先生の集大成ともいえる作品です。たくさんの方々に支えられ、いよいよ世界初演を迎えます。#丹波明白峯 shiramine.net

セントラル愛知交響楽団@CentralSUSUMU2014-09-26 15:51:27 【本日のオーケストラ】9/26第136回定期演奏会〜魂〜丹波明作曲・台本:楽劇≪白峯≫ GP中の1枚。一幕は崇徳上皇(大野徹也)と西行(大塚博章)、二人が登場されます。

さすらうわこうど@sasurau_wakoudo2014-09-26 17:45:51 【CASO136】三井住友海上しらかわホールなう! 今日はセントラル愛知交響楽団第136回定期演奏会を聴きにきました。 曲目は、 丹波明:楽劇「白峯」(3幕12場・演奏会形式・世界初演)です。

M.Shostakov@mdsch232014-09-26 18:05:57 しらかわホールでの上演規模としては最大級ではないか。舞台、オケの座席が最大密度で入っていて、ソリストたちは別段に座席設置されている。 でもこれを芸文でやったら迫力ないかもしれないという意味ではいい選択なのかも。

ゆゆ@yuyuiksa2014-09-26 18:16:31 セントラル愛知の定期。丹波明の楽劇白峯の初演。雨月物語の白峯を元にしたオペラ。

高橋肇(たかはしはじめ)名古屋音楽大学長@TakahashiHajime2014-09-26 18:25:56 セントラル愛知交響楽団 第136回定期演奏会 に来ています♪ オペラ白峯 《演奏会形式》 @ 三井住友海上しらかわホール instagram.com/p/tZ1O4lKqGW/

芙蓉@fuyou_f2014-09-26 19:29:13 先日RTした、「楽劇(オペラ)白峯(世界初演・3幕12場・演奏会形式):セントラル愛知交響楽団第136回定期演奏会?魂?」です。この「白峯」は東京でもセントラル愛知の同じメンバーで9月28日に公演があります。

芙蓉@fuyou_f2014-09-26 19:53:13 ちなみに、この「白峯」のモチーフは、上田秋成『雨月物語』の「白峯」です。能楽で「白峯」に関連がある(崇徳院と西行)のは『松山天狗』かな。(違ってたらご指摘ください)

さすらうわこうど@sasurau_wakoudo2014-09-26 20:04:51 【CASO136】休憩中。恨みが恨みを呼び、呪いが呪いを呼ぶ、げに恐ろしき因業の深さなり。

M.Shostakov@mdsch232014-09-26 20:05:10 字幕はフルに入れて欲しい。パンフをめくったりする音が多いのは意味がわからないから。短冊状のスクリーン、説明もいいんですが歌詞はもっと入れないと観客が持たない。

さすらうわこうど@sasurau_wakoudo2014-09-26 20:08:41 【CASO136】キャストの台詞を投影する幕がホール天井から下がっていて、幅広になっているので台詞だけでなく登場人物の相関図なども映し出される。

さすらうわこうど@sasurau_wakoudo2014-09-26 21:10:32 【CASO136】崇徳院の亡霊の現世への執着を断ち切らんと願う西行法師の読経が響く中、幕。 こういう上演は、ある意味名フィルにはできないのだ。でかしたぞセントラル愛知!

M.Shostakov@mdsch232014-09-26 21:21:17 セントラル愛知定期演奏会。楽劇「白峯」。弦の上で指を滑らす手法、声楽合唱隊で応用してうなり声のような合唱を行っていた。第2幕保元の乱までは何が起きたのか描き、その後一気に崇徳上皇が怨霊となり、それを知る西行法師と合唱隊と管弦楽の音楽が強い渦を作って終えた。

さすらうわこうど@sasurau_wakoudo2014-09-26 21:22:29 【CASO136】終演後、拍手の中マエストロ井崎正浩さんに舞台へ呼び出された、作曲者の丹波明さんはメシアンに学んだということで、「トゥーランガリラ交響曲」など、家にメシアン作品のCDがあって一度でも聴いたことがある人なら、丹波作品が初めてでも何となくピンとくるサウンドだった。

ゆゆ@yuyuiksa2014-09-26 21:34:33 セントラル愛知定期。楽劇白峯は全編にわたって濃密な音楽が続く。特殊奏法も含めた管弦楽の錯綜した線と響と音色の多彩さ。朗唱と語りのような歌。業の物語が最後の読経につながる。単純に感動という音楽じゃない。

浮舟@miho_ukihune2014-09-26 21:42:28 セントラル愛知 定期@しらかわホール 楽劇「白峯」エネルギッシュな演奏と歌唱に圧倒されっぱなしの2時間半でした。 崇徳院の怨念が渦巻くなか、西行の読経が絡みさらに違った様相の渦が発生してクラクラするほどだった。いやぁ、良かった!

ゆゆ@yuyuiksa2014-09-26 21:49:42 しらかわホールの小ホールだから、強烈に打楽器は炸裂するし、楽器の響きも伝わってくる。もしかしたら、本来クラシック音楽はこれくらいの場所でやるべきものなのか。今日のセントラル愛知聴いて思った。でも、興行考えると難しい問題。

夢宮(ゆめのみや)@yumeno_522014-09-26 22:30:48 尾張国はしらかわホールにて楽劇「白峯」を拝見させて頂き帰途に在ります 御一緒下さりましたみなさまそして天候をはじめ崇徳さまの御縁に感謝の限りです 幾重にも反響する読経の波は頓證寺殿での850年忌を思い出させ、最後に現れた崇徳さまの肖像画は微笑んでおられるようでした #平清盛

M.Shostakov@mdsch232014-09-26 22:34:19 セントラル愛知定期:丹波さんの「音の干渉」は復習としてお勧め。90年の邦楽器と声楽曲ですが「白峯」と似た側面があるように感じる。

夢宮(ゆめのみや)@yumeno_522014-09-26 22:38:45 【楽劇「白峯」in尾張国】宵闇のなか高速列車が風を切って走る音が楽劇の声に聴こえます 終始緊張感に包まれた旋律のなか中心で世界をしろしめす歴史家の如き指揮者の方の指先に沿って舞台は進みます お能「松山天狗」を想わせる空間でした 後程詳細を呟かせて頂けますればと存じます #平清盛

芙蓉@fuyou_f2014-09-26 22:46:25 白峯感想@音楽とコーラスは、とても良いものでした。巧く作られていると感じました。全て計算の上で成り立っている音楽だと感じたのは久し振りです。そして、絵画的な音楽でもありました、表現したいものが全て聴こえてきたという意味で。

芙蓉@fuyou_f2014-09-27 00:43:55 白峯感想A雅楽(舞楽)を取り入れていたのは、とてもおもしろかったです。(戦の場面はたぶんそうだと思う)ただ、演奏会形式だからだと思いますが、舞を生かしきれていないのが雅楽好きとしては勿体ないなと思いました。もう少し動きも含めて思いっきり取り入れたら印象が変わったかもしれない

・夢宮(ゆめのみや)@yumeno_522014-09-27 03:35:43 楽劇「白峯」を拝見させて頂く前には初めて熱田神宮へお参りさせて頂いたのですが、なかなかに宵の終わりが迫って参りましたゆゑ紀行文はまた後日にといたします 覚書の連続投下を失礼いたしました 熱田神宮には西行さんが腰かけられたという橋もありましたv

・M.Shostakov@mdsch232014-09-27 07:13:51 セントラル愛知定期「白峯」:ソリストの服装は記号的で誰が誰か分かるようになっていた。また短冊状のスクリーンに要所要所の台詞や解説が入る。 それでも演奏中、パンフ見なくても分かるように工夫されてましたが、歌詞の言葉が聞き取れず気になってパンフめくる人は多かった。

・M.Shostakov@mdsch232014-09-27 07:15:30 セントラル愛知定期「白峯」:あとからジワジワと染み込むタイプの音楽だったと思うのでそこで無理して理解する必要はないし、最低限の配慮はされていたと思う。このあたりのギャップ、観客側の問題だとは思います。

・M.Shostakov@mdsch232014-09-27 07:26:03 セントラル愛知定期「白峯」:ただ復習するには音源欲しいです! (丹波明さんの作品では終演後販売されていたCD「音の干渉」(90年)は邦楽器と声楽による楽曲録音ですが「白峯」の音楽の萌芽が見られてお勧め)

・さすらうわこうど@sasurau_wakoudo2014-09-27 07:30:04 改めまして皆さんお早うございます。 丹波明:楽劇「白峯」の素晴らしい上演。セントラル愛知、会心の一撃! 今日も皆さんが無事に、心穏やかに、素敵な音楽とペーソスに囲まれて過ごせますように。 どなた様もお健やかでギンギラギンのギンな土曜日を! (」・▽・)」<toi toi toi!

・M.Shostakov@mdsch232014-09-27 07:39:22 セントラル愛知定期「白峯」:開演前の舞台。ソリストの椅子は演奏中、場の変わり目に黒子さんが追加していた。 pic.twitter.com/QJXfWuqww0

・M.Shostakov@mdsch232014-09-27 07:42:12 セントラル愛知定期「白峯」:この写真だとわかりにくいですが2階観客席、舞台よりの両袖は左側が女声、右側が男声の合唱団席になっていた。あまり聞いたことのない声の高低が変わるうなるような合唱は本作の特徴の一つ。禍々しい怨念表現に寄与していた。

・M.Shostakov@mdsch232014-09-27 07:46:00 セントラル愛知定期「白峯」:日曜日のすみだトリフォニーホール公演でこの合唱隊、どこにレイアウトされるのかは気になるところ。新日本フィルのBriten:War Requiemでは少年合唱隊は2階?観客席奥の階段から天上からの声の演出ちなっていたのを思い出す。

・浮舟@miho_ukihune2014-09-27 07:49:35 セントラル愛知 定期@しらかわホール 楽劇「白峯」 思い返せば、すんなり受け入れていたけれど、この構成はお能の構成。前シテの樵が後シテの崇徳院になり物語する。ワキが西行法師で崇徳院の成仏を念じ読経する。合唱は謡で、舞楽だけど舞もあって。間狂言がなかったような…

・M.Shostakov@mdsch232014-09-27 08:12:30 セントラル愛知定期「白峯」:追記。白い長方形はスクリーン。短冊状にするというのは発明ものですね。

・M.Shostakov@mdsch232014-09-27 10:16:16 セントラル愛知定期:「白峯」:プロジェクターやソリストの記号的な衣装、歌詞の擬似古語化で分かりやすくなっていた。難しさがあるとしたら登場人物たちの人間関係か。ただそのような事があったらから崇徳上皇は歴史を変え、死してなお怨念を残して子孫にも怖れられたとも言えますね。

・セントラル愛知交響楽団@CentralSUSUMU2014-09-28 06:35:56 【本日のオーケストラ】第4回東京公演・楽劇≪白峯≫|9/2814時開演@すみだトリフォニーホール|昨日の舞台の仕込み中の1枚。名古屋とは若干配置が異なり、狂言が加わります。当日券は全種。S6500〜B4500、13時発売開始。 twitpic.com/ec5lsj

・セントラル愛知交響楽団@CentralSUSUMU2014-09-28 06:41:52 先日9/26の当団136回定期〜魂〜には遠方からのお運び、また当日券が出るか出ないかやきもきする中でお待ち下さったお客様、アンケートを通じて、またツィッター上などでも感想のつぶやき、本当にありがとうございます。≪続く≫

・セントラル愛知交響楽団@CentralSUSUMU2014-09-28 06:48:30 約2年前から始まった企画ですが、無事本日終えられるように、出演者・スタッフ一同、最後まで全力で取り組みます。当日券は13時より全種販売です!どうぞ名古屋に来聴された方も、そうでない方も、どうぞ東京・すみだトリフォニーホールにお運びくださいませ!

・Sumida Triphony Hall@TriphonyHall2014-09-28 08:30:10 【9/28今日のトリフォニー】おはようございます!大ホールは14時《セントラル愛知交響楽団第4回東京公演楽劇「白峯」》当日券あり13時〜、小ホールは14時《野口絢子ピアノリサイタル》当日券あり13時半〜。すっかり秋!シューベルト晩年の歌曲にも『秋』D945があります。#STriH

・現代音楽のデータを紡ぐ@CCMJ20002014-09-28 09:51:04 2014.9.28 (日) 14:00-、楽劇《白峯》、すみだトリフォニーホール 、 出演: 指揮 井ア正浩 / 演奏 セントラル愛知交響楽団 他 作品: 丹波 明/楽劇《白峯》 shiramine.net

・小川ひろみ(国立市議・生活者ネット)@0gawa11832014-09-28 17:13:53 【丹波明氏のオペラ「白峯」@すみだトリフォニーホール】 12世紀初頭の乱で敗れた崇徳上皇の、流罪の地での孤独・望郷・絶望・怨念。夢幻能とオーケストレーションが、語りを盛り上げる。時の思想家、西行の極楽浄土を渾身の力で拒否。850年経っても癒えることのない無念の主人公が今日甦った!

・藤誠@日曜日はすみだトリフォニー@tohsei_taiga2014-09-28 17:15:08 白峯終わった。面白かった! 最後に、客席にいらした丹波さんがステージに上がられました。大成功でおじーちゃん嬉しそうだった。

・藤誠@日曜日はすみだトリフォニー@tohsei_taiga2014-09-28 17:18:49 西行の人めっちゃいい声で読経が音楽と相まって素敵な響きで。しかし西行よ、目の前におわすのが上皇さまだと分かったところで上皇さまがいちばん大変だったときにお側に居なかった件を詫びろ!

・藤誠@仁和寺行きたい(うち浄土宗だけど)@tohsei_taiga2014-09-28 17:22:35 あとトヴァインとたまこさまの婚礼の席に頼長殿がいたんですけど、どゆこと?「私はまだ若輩にてー」 っていやいやいや…あれ左府さまだよね?あれ?

・小川ひろみ(国立市議・生活者ネット)@0gawa11832014-09-28 17:26:43 【オペラ「白峯」を聴いて】 一幕と三幕は、夢幻能だった。崇徳上皇の怨念は、850年の今に出現した。 お能は、女性が主人公となる稀有な芸術でもある。民衆の無念や怨念を、舞と唄いで効果的に伝える芸術でもある。日本人は忘れ易いといわれるが、そんなことばかりじゃないこともある。

・藤誠@日曜日はすみだトリフォニー@tohsei_taiga2014-09-28 17:28:58 上皇さまの亡霊が西行にご自身の暗黒の歴史を語る感じで、保元の乱のシーンでは能の装束のかたが手に薙刀、弓矢を持たれて舞を舞われました。上皇さま、大魔縁のお衣裳でバックに焔が映し出されて演出かっこよかった。

・藤誠@日曜日はすみだトリフォニー@tohsei_taiga2014-09-28 17:30:56 あと、上皇さま役の方が「あさまし」のところを「おそろし」と吟われたりして、絶妙な雰囲気を醸し出されたり。

・まつい(H_MATSUI)@Liddell_01242014-09-28 17:34:04 楽劇「白峯」まだちょっと消化出来ておりません…。RTのように長方形のスクリーンがあって字幕かと思いきや他に対立図だったり浮世絵だったりします。 しかし一番印象的だったのは言葉のない保元の乱の、大音量のオケと刀と弓矢の舞。 #平清盛

・藤誠@仁和寺行きたい(うち浄土宗だけど)@tohsei_taiga2014-09-28 17:34:51 あと、忠通殿が眼鏡っこでちょっと可愛かったり ←

・藤誠@仁和寺行きたい(うち浄土宗だけど)@tohsei_taiga2014-09-28 17:39:12 トヴァインがたまこさまによそよそしくてツンな感じだったのは、上皇さまが西行に語ってるせいですかね? 上皇さま役の方が割と体格のいいおじ様だったのでトヴァインの方が甥っ子に見えちゃった。

・藤誠@仁和寺行きたい(うち浄土宗だけど)@tohsei_taiga2014-09-28 17:40:58 しかしこの難しい楽曲を分かりやすく指揮してるなーって感心しちゃいました。

・まつい(H_MATSUI)@Liddell_01242014-09-28 17:43:08 【白峯】1・3幕の枠組が雨月物語で、2幕で保元の乱までの愛憎が語られます。ああいうドロドロは確かにオペラぽい。shiramine.net #平清盛

・藤誠@仁和寺行きたい(うち浄土宗だけど)@tohsei_taiga2014-09-28 17:45:11 個人的にはトヴァインとたまこさまの婚礼のシーンで吟われた越天楽の雅楽と合唱が素敵でした。

・Airi@aidolceamor2014-09-28 18:14:08 楽劇「白峯」観劇しました。とても期待以上でした。特有の音楽に魅せられました。歌の方もいい声でした。日本伝統音楽・芸能的なもので、美しさを感じました。素晴らしかったです。 pic.twitter.com/qtyr0xy2ut

・KIMURA Satoko@kimsato272014-09-28 18:20:43 「白峯」は崇徳さんのお話。席が遠うて演者の顔が見えんのをええことに、脳内で「平清盛」キャストに変換しながら観たw 二台のオンドマルトノはおどろおどろしい効果音とか虫の声とか、わりと典型的な使われ方で出番は多い pic.twitter.com/lyO4dSY9cn

・藤誠@仁和寺行きたい(うち浄土宗だけど)@tohsei_taiga2014-09-28 18:55:01 舞台の右上のスクリーンに解説文や相関図が示されて、矢印で『ここ対立』とか『叔父子(不義の子)』とか丁寧に書かれていて若干興醒めでしたが分かりやすかった。

・荒木成光@MIDORI19362014-09-28 20:00:30 すみだトリフォニーホールで丹波明の音楽・台本による楽劇「白峯」の世界初演(演奏会形式)を聴いた。近代西洋音楽と雅楽、能楽、講談などが渾然一体となって雨月物語の幽玄な世界が音楽で巧みに表現された。オンド・マルトノを加えたセントラル愛知交響楽団も力演!

・藤原俊成?生誕900年@toshinari_bot2014-09-28 20:44:04 楽劇「白峯」は主人公の崇徳院役より西行役の方が「おいしい」ような気がしたのう

・美保@miho196410202014-09-28 21:03:35 すみだトリフォニーホールにて「楽劇 白峯」を観てまいりました! ホントは、読売ホールにJOJさん〈ジョン・オーウェン=ジョーンズ〉のコンサートに行きたかったんだけど…大叔母のご希望とあれば仕方あ… simplog.jp/pub/tw/1696702…

・笹崎譲@udupho2014-09-28 21:09:54 今日は、丹波明「白峯」(演奏会形式)を聴きに。丹波さんは器楽作品よりもオペラや舞台などの作品の方が向いているのではないかと思ってきたが、間違いなく集大成的作品だったように思う。力作。2台のオンド・マルトゥノ、打楽器をうまく活かしたオーケストレーション。歌、合唱、オケ、ともに好演。

・笹崎譲@udupho2014-09-28 21:19:46 丹波明「白峯」、字幕は全部出してほしかった。オペラで使われる日本語は、聞き取れたとしてもどんな漢字をあてるどんな意味の言葉かわかりにくいことが多い。今回は字幕のほかに解説等も投影されたけれど、紛らわしい。フォントだけでなく、投影位置、色、背景の検討など、もっと工夫が必要では。

・笹崎譲@udupho2014-09-28 21:24:28 丹波明「白峯」、人物相関図の投影は工夫ポイント。だが僕は、今舞台に出ている人が誰だかわからないのに、舞台に出ている人以外の人物名も投影されるので、「あんた誰?」状態。場の冒頭説明と一緒に、誰が登場しているのか投影してほしかった。服装でわかるのかもしれないが、3階後方は遠くてだな。

・笹崎譲@udupho2014-09-28 21:28:20 丹波明「白峯」、庭の虫の音の場面(もっとも静かで耳を澄ませたい場面だ)で遅刻客を誘導したのは、最悪のタイミングだった。ほかにいくらでもタイミングはあっただろうに。猛省を促したい。

・藤誠@仁和寺行きたい(うち浄土宗だけど)@tohsei_taiga2014-09-28 22:43:44 でも白峯、「プァッ むっちゃ悪い夢見たわ!」みたいな話じゃなかったです? (台無し)



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