楽劇(オペラ)《白峯》 ―演奏会形式―  
    
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ゆかりの地をたずねて
まず香川県坂出市  つぎに京都   白峯神宮  西行法師終焉の地 弘川寺

岡山からJR瀬戸大橋線の快速マリンライナー号高松行き  約40分で坂出駅に到着

           
崇徳マップ
崇徳マップをクリックしてみてください。
崇徳上皇 相関関係図も大変参考になります。



 香川県坂出市

讃岐と岡山を繋ぐ瀬戸大橋の電車のなかからの瀬戸内の風景。
鼓岡神社から崇徳さんの御陵がある白峰山を望む。



鼓岡神社。小さな祠で、タクシーの運転手さんによるとほとんど訪れる人はないそうです。だけどこの土地の人たちは屋根も葺き替え大事に守っておられる様子がわかりとても印象に残りました。











御所ができるまでの間、崇徳さんが過ごされた仮住まいの雲井御所の跡です。
憧れの崇徳さんの御陵がある白峯寺に着きました。

後白河法皇が亡くなる1年前、崇徳上皇のために建てられた頓証寺殿。人の死とはすべてを洗い流し浄化させるものか。平家物語の灌頂の巻を思い出させる。
奥へ入って行くと矢印がありました。




目的の崇徳さんの御陵に着きました。ここに祀られおられるのかと思うと感慨深いものがありました。高い杉の木が孤独の人をおもいださせました。
白峰宮。1164年10月(崇徳崩御2か月後)、八十場に二条天皇が建てられた崇徳上皇のお宮。
白峰宮。

天皇寺が白峰宮と同じ場所にありました。









京都
法金剛院、待賢門院さんのお寺をたずねました。

法金剛院、白い彼岸花









法金剛院の庭園は静かな日本庭園で阿弥陀経でイメージされている浄土とは違って  日本人の感性にあった浄土はこういうものかと驚きました。
肖像は待賢門院さん。
(法金剛院発行 写真増田雅与志の絵葉書より)












法金剛院の裏山にある待賢門院さんの御陵










左の地図の説明。
白河上皇にはじまる院政期には、平安京内に置かれた院の御所とともに京外にも大規模な上皇のための御所が造営されました。 白河上皇・鳥羽上皇の時代には鳥羽離宮(南端の茶色の所)や白河殿(右端の茶色上)後白河上皇の時代には法住寺殿(右端の茶色下)が加わった。 (京都創文社・「京都歴史散策マップ」ー鳥羽離宮跡を訪ねて)
白河法皇の御陵







安楽寿院で鳥羽上皇と美福門院の位牌が守られています。



鳥羽離宮のこの地で院政が行われたということである。京都の南のはずれであった。 交通の便は良い。舟で淀川を下り瀬戸内に出られる。これが清盛の福原遷都構想に繋がっていたのではないかと想像した。
安楽寿院は全国に広大な寺領(荘園)を持ち、康治2年(1142年、鳥羽上皇時代)には山城国、讃岐国、尾張国、 河内国、常陸国、上野国、淡路国、豊後国にひろがっていた。(京都創文社・「京都歴史散策マップ」ー鳥羽離宮跡を訪ねて)








神楽殿
崇徳上皇の肖像



 
(学習研究社、日本美術全集   第10巻 重文 所蔵・白峯神宮)

神楽殿
ここで今年(2014年9月21日)、崇徳上皇のご命日にオペラが奉納される。
白峯神宮の境内
昔も今もここで蹴鞠がおこなわれる。

白峯神宮の秋の例大祭には源為義公の末裔の方がお酒を供えられている。崇徳上皇との深い繋がりを感じる。 為義公は清和天皇から数えて八代目の子孫になる。下京区朱雀裏畑町の権現寺に祀られている。清和天皇の御陵は京都の左京区の山奥の水尾にあった。  
             源為義公の墓                                清和神社















    










                                                   



























































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頓証寺殿(とんしょうじでん)。 後白河法皇が亡くなる1年前、崇徳上皇のために建てられた。




                     
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