楽劇(オペラ)《白峯》 ―演奏会形式―  
  

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丹波明著『「序破急」という美学』は2004年音楽之友社から出版されました。 現在は絶版です。そこでリーフレット作成を思い立ちました。 作成ににあたって本書の真髄をどのように簡潔にお伝えできるか、という視点で私なりの理解と問題意識で本書を再構成し小見出しも本文から自分 の関心で抜き出しました。

※を付けてそれぞれの段落に私なりの印象、その時の興奮をメモ的に記しておきました。(大西)


表紙の装丁は久保和正氏 文中(転載)は「「序破急」という美学」(音楽之友社)より転載の意味
 
 
 丹波明講演会記録   
*7月 3日 東京藝大「東西を融合する新しい音楽書法の試み」
7月14日早稲田大学戸山キャンパス「フランスで日本人作曲家であること」  聞き手 小沼純一教授 
     決定音楽と非決定音楽
*7月18日 筑波大学東京キャンパス 「東西融合の接点」

『「序破急」という美学』
目次                                                            
 
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1 表題の意味
●  本書にあえて『「序破急」という美学』という表題を付けたのは、現代一般の知的問題意識にはこの「序破急」原則も、「成る」基底概念ものぼって こないからです。これは、日本人が欧米文明導入の際、無意識に「和魂洋才」を行っており、知識と感情を区別し二元的に操作して いるからで、用明天皇の仏教導入の態度以来、今日まで続いてきているものなのです。すなわち感情、感覚的には「成る」基底観念が今日 まで持続し、知識的には明治以来、大量に導入された欧米文明の咀嚼に追われ、伝統的感情、感覚を意識して顧みる余裕がなかったことか らくる忘却なのです。(p.165〜p.166)この21世紀に「成る」という基底概念が、明治に導入された欧米の文明を 逆に回収し、新しい変容をどのように規定するかが問題となってくるでしょう。これは自律性を確保しつつ、与えられた環境に順 応していく生物学的変容に、ある意味では非常に近いものがあるといえます。文化の担い手は有機物である人間で、生物学的な規定から免 れることができないのみならず、日本人の思考は植物、生物が自然に生成、発展、増殖していく「産巣毘」(むすび)の力を規範とした 「成る」観念を基礎とし、文化的自律性を獲得しているからです。(p.166)
   ※「現代日本人の知的問題意識には、「序破急」も「成る」ものぼってこなかった、 これは余裕がなかった
   ことからくる「忘却」との著者の厳しい指摘・批判。二つの観念の蘇生への希求から発せられている。」鋭
   い指摘。

2 西洋古典音楽の現状と限界
● 第二次大戦後、オリヴィエ・メシアンはヨーロッパ音楽の弱点はリズムにあるとし、三拍子、四拍子系の同一反復リズムを何とか改革すべく努力を払っていたことは、次のメシアンの言葉からも理解することができます。 「古典の音楽家たちは(この古典というヨーロッパ本来の意味での)リズムの悪い音楽家たちというよりは、むしろリズムを知らなかった人たちです。バッハの音楽には、和声的色彩、最高の対位法の処理があり、これらは実にすばらしく天才的な仕事です。しかしリズムはありません」 メシアンは、ギリシャのリズム、インドの120の地方のリズムに興味を持ち、これらのリズムを分析、分類し、原則を抽出し、これらの原則をヨーロッパ現代音楽の書法と融合させ、メシアン自身の音楽書法を完成させたのです。(p.173〜p174)
● 彼はヨーロッパ現代音楽が直面している問題をはっきりと意識しており、そのうえでのメシアンの実践的提案が、インドの120の地方のリズム導入として現れているのです。この導入により、地理的にはヨーロッパと南アジアを、時間的には13世紀と20世紀を結び付けることによって、異なった人間性、異なった文化を融合することによって、より大きな一般性をあまりにも個人化した現代音楽のなかに取り入れようというのです。ここでは伝統的、地域的な条件下によって創り出されたものではなく、世界的な視野に立ち、歴史的時間、地理的空間を超越した次元で創造をしようという新しい創造観とみることができるのです。 コミュニケーション、伝達が世界的次元で行われるようになった現在、このような広い視野に立った創造観が出てくるのも当然なことではないでしょうか。しかし、ここで明記すべきことは、メシアンが伝統も地域性も否定しているわけではなく、逆に彼は伝統も地域性をも尊重しているのです。ただ、今までのように、ある作曲家が属するヨーロッパとか、日本とかいう限られた地域性を脱し、世界の人類の音楽遺産に直接結び付き、時代的にも近い過去のみでなく、古代、中世をも包含しようというのです。(p.175〜p.176)
● このようにして作り出された個人的書法で作曲することは、いかに過去の音楽遺産を取り入れたといっても、個人の新語法で話すことになり、共通語法で話を進めるより、理解度が下がるといえるかもしれません。もちろん、芸術では語彙が二義的にしか存在しないため、知覚による理解しかあり得ないということもできるのですが、現代音楽を孤独な苦境に追いやっているひとつの原因は、この個人的書法にあるといえるでしょう。これもヨーロッパ音楽の個人的、能動的な「作る」創造観の行き着くところなのではないでしょうか。(p.178)

● 十二音音列書法(ドデカフォニスム・セリエル)は、ピエール・シェフェールがいうように (『創意と創造』91頁・音楽之友社)、「ヨーロッパ古典音楽のあらゆる規則を否定した、 ヨーロッパ伝統音楽の最後の規則」なわけです。このことは、ひいてはヨーロッパ音楽の決定性を否定することにもつながるのです。 (p.195)
   ※ヨーロッパ古典音楽の行きつく先が自己否定であった。

3 「序破急」と「成る」は表と裏
● 「序破急」は奈良時代に、舞楽の三部構成を示す言葉として、中国大陸から、唐の宮廷文化の雅楽とともに日本にもたらされました。その後、平安時代に、御神楽、声明、管弦の楽曲構成のうえに大きな影響を与えました。鎌倉時代に入り、この「序破急」は蹴鞠や連歌の理論化に使われ発展をみたことは、『筑波問答』によって知ることができます。(p.8) 
● 自然に成りゆく生命体が、その成りゆく連続的時間領域、すなわち時間を構成しているのであって、時間がなりゆく力を作っているのではないのです。この自然に成りゆく産巣日(むすび)の力が、丸山眞男のいう、第三の「勢い」であるわけです。したがって宇宙とは、無限に近い大小さまざまな継続しては消えていく、自然に成りゆく連続的な生命体の累積によって構築されており、我々個人も個体も、生命のある限り時間を構成し、宇宙の時間構成要素のひと つであると考えられるのです。(p.15〜p.16)
● 「序破急」は、自己が内蔵する自然に成りゆく、たとえば果実の成長、 また胎児が個体として必要なあらゆる機能を九か月間に漸進的に推し進め、十か月目に胎外に現れるような 自然に増加する連続的勢いを、むすびの力を模範として作られた美的時間原則で、 むすびの力そのものではありません。この潜在的な自然の力を手本とし、多くの分野の芸能人が、 作意をもって各自の分野で少しずつ作りあげていった伝統的な美的原則が「序破急」なのです。 そして、この自然に成りゆく力と「序破急」をはじめて結び付けたのが世阿弥です。(p.16)
   ※「序破急」はむすびの力を模範として作られた美的時間原則、つまり生物的時間原則。

● 「序破急」は、あるものを完成の域に達せしめる「過程」としての「道」と考えられたからこそ、仏教、神道をはじめとして、多くの芸能の理論化に一役買ったのだと思います。また「過程」としての成りゆく時間と同時に、「型」としての「序破急」を用意することによって、いつでも最高の境地に達せしめられるように、用意しているのだと思います。これが、日本の芸能が「序破急」を使って様式化を行った出発点にあったと思います。これはあたかもカトリックの聖餐式で、パンと葡萄酒をキリストの肉と血として受けることにより、キリストの聖霊に接しようとするのと同じように、「序破急」を通して「自然に成りゆく力」に接し、個人の普通の力では達しえない芸術の境地に達せしめたいという願いなのです。 この自然に成りゆく力に自己の成りゆく力を託し得た時、日本人はその精神的境地を無、空、悟りといい、またその美的境地を幽玄、わび、さびなどという言葉で表現しているのだと、ある意味ではいえるのではないでしょうか。この「自然に成りゆく力」は、日本書紀のいう「産巣日(むすび)」であり親鸞の言う「自然法爾(じねんほうに)」であり、本居宣長のいう「直毘の霊(なおびのみたま)」なのです。(p.17〜p.18)
   ※「自然に成りゆく力に自己の成りゆく力を託し得た時、日本人はその精神的境地を無、空、悟りといい、
   またその美的境地を幽玄、わび、さびなどという言葉で表現している」この分析は深い。


● この「自然に成りゆく力」にまかせるという基底観念が、中国大陸から舞楽とともに伝わった 単なる三部分を示す指示名詞「序、破、急」を一連の漸進的に増加する美学の時間原則にまで発展せしめたのだと思います。 ここでは三部分の異なった三つのリズムが、大きな一連の漸進的に増加するダイナミックな時間観念に変えられています。 したがって「次々に成りゆく勢い」も「序破急」もすべて「自然に成りゆく力」すなわち「産巣日」の力に統一されたものと考えられ、 「序破急」は「成る」概念と同一視することができるわけです。そして一連の漸進的に増加するダイナミックな時間は、 世阿弥のいう、行き着いた時にはじめて感じる「成就」の面白さに結び付くわけです。またこの時間は、 日本の中世、近世の芸能において、芸術と精神的探求とを統合させる場、空間としての「道」という言葉と結び付いているわけです。(p.18)
   ※「単なる三部分を示す指示名詞「序、破、急」を漸進的に増加する美学の時間原則にまで発展せしめた」
     日本人の独創性の指摘。


● 「序破急とは明らさまな対照、断絶を避け、連続的時間内に漸進的に増加する 刺激の量をもって時間構成を制御しようという美的原則である」と定義することができると思います。(p.31)
● ここで特筆すべきことは、世阿弥がはじめて宇宙の万象、 そしてその各現象は、各存在が保有する個々の力の漸進的変化によっており、この変化を「序破急」原則と結び付けたことです。 言い換えれば「序破急」という美的原則に、これを支える思想的必然性として、自然観による思考と結び付けたことです。(p.73)
   ※世阿弥の偉大さを再確認。著者は現代の世阿弥?!

● 「序破急」原則は日本の古代、中世、近世を通して音楽、演劇、蹴菊、連歌、香道、生け花などの十五にもおよぶ 諸芸能の構造、演奏、理論化に大きな役割を果たしてきました。その適応の度合いは、時代、芸能の種類によっても異なりますが、 これだけ多くの芸能が、大なり小なりこの原則の影響の下で構成、理論化され、完成されたということは、 「序破急」原則が単なる流行、また日本人の伝統への盲目的追従というのではなく、日本人の持つ潜在意識に応え得るものが あったからではないでしょうか。この潜在意識が「成る」という概念です。(p.124)
   ※著者は日本文化の秘密を解き明かす名探偵のようだ。

● 「成る」観念と「序破急」は、ひとつの金貨の表裏を構成していることが分かります。 連続時間内で、漸進的に増加する刺激の量をもって時間構造を制御しようという「序破急」原則を表とすれば、 その裏には自然に生成、育成、増殖していく勢いを認める思考形があるわけです。 逆に、自然に成り行く産巣毘(むすび)の力「成る」観念を表にすると、その裏には、これを模して作った 「序破急」原則があるということです。(p.126)
● 日本人の主情的、感覚的思考様式は、音楽・芸能のなかで最も開花しており、 このなかにこそ、日本の基底観念が秘められているのです。(p.127)
   ※この指摘は目から鱗。美術・絵画のなかにだけ発揮されていると思っていた。

● 「成る」観念では、生成、発展していく過程が、継続する時間内に刺激の量が(強度、速度、密度、高さ)漸進的に増加するダイナミックな時間として受け取られています。…「成る」時間観は漸進的な加速が加わるため、ヨーロッパ古典音楽の等間隔の計量時間単位はできないのですが、むしろ19世紀末に定着した刺激の量の漸進的増加を示すフェシュナーの数式が当てはまるのです。(p.140)
                       
※フェシュナーの数式をグラフ化すると加速の状況がよく分かる。 (拡大)

● 「成る」という時間観は、長い冬の間蓄積してきたエネルギーが、春になり花を咲かせ、 小さな実を付け、夏の太陽の下に少しずつ大きくなり、秋には成熟する育成の時間で、強度、速度、 密度など多くの要因が同時に組み合わされて増加してくる時間で、人間が時を征服するために適応した、 抽象的な測定単位ではありません。「成る」時間観は生理学的であり、心理学的な時間観で、 自然の植物、たとえば桜の花が蕾から少しずつ開いて満開となり、春風にひらひらと散っていくまでの一連の生命的存在の時間です。 (p.140〜p141)
   ※「成る」時間観は生理学的、心理学的な時間観。生命的
   存在の時間。これ以上の普遍性があるだろうか。


● 中国から舞楽とともに導入された名詞「序破急」を、美的原則に発展させた超越観念は「成る」という基底観念で、 自然に成り行く「勢」に自己の存在を委ねるという「受動的観念」です。そして、この「成る」という基底観念の原点に、 土着な原始シャーマニズムの思考である「産巣毘」(むすび)の霊力を想定することができ、 これは超・超越観念と呼ぶことができるものです。日本人のあらゆる思想、行動の原点には、 この「産巣毘」の力が多かれ少なかれ潜在的にあります。これはあらゆるものを自然に生成、 発展、増殖させる力に従おうという思想です。この超・超越観念と超越観念は、発展段階を考慮して付けた呼び名ですが、 両者ともにそれ自身、体系化された思惟があるわけではなく、思考形を提供してくれる混沌とした思惟で、 これを「受動的思考形」と呼んだわけです。(p.167)
   ※日本人は「受動的思考形」を肌で理解できるが西欧人はどうだろうか。

● 日本の「受動的思考形」は、この「場」に異質なものを受け容れ、融合し沈殿させ、 新しい変容物を生成、発展させようという「成る創造観」で、これは「成る」基底概念から派生しているものです。 この「成る創造観」は、積極的にものを作るというよりも、むしろあるものを昇華させ、少しずつ完成させようという受動的な創造観です。 「序破急」原則も、刺激の量の漸進的増加(換言すれば自然の生成・発展させる力を模して設定した原則)により、 時間構造を確保しようという原則です。(p.168)
   ※「序破急」原則は自然の生成・発展させる力を模して設定した原則。それ故、普遍的。

● この基底観念(「成る」)は、あらゆる存在、あらゆる思考の共存を無選択に許す「受動的思考形」で、咀嚼し、融合し、 新しい形態を生成、育成させていく「力」であり、「場」であるわけです。このような思考形の「場」では、多くのものの共存、 たゆまぬ変容が要求されます。このような共存、自らの変容を許さないもの、また変容しきれなくなったものは、消滅していくわけです。 (p.160)
   ※生命の進化における地球という「場」に似た発想。変容しきれなくなった生き物が地球上から消滅して行
   ったように。


● 「成る」という基底観念は、それ自身思考としての体系を持つことを拒否します。というのは、もし基底観念それ自身がひとつの体系を所有すると、生成・発展・衰退という変容の時間体系に組み込まれ、超越性を失い、基底観念として存続できなくなるからです。同時に、ある思考体系を形成すると、これに対し反思考が構成され、選択、排除を迫られ、「絶対受容」を形成できなくなるからです。このような意識的に無構造な基底観念を「絶対無の場」と呼ぶこと ができ、日本文化のあらゆる時代に流れ続けた超越思考であるわけです。この場では、体系化された思惟は、たとえば導入された「序破急」原則、仏教、欧米の哲学を変容するのですが、絶対的体系とは認められず、他と同様にたゆまぬ変容を課せられていくのです。これが日本文化のひとつの特質である混淆主義(サンクレティズム)を生じさせる基底観念であるわけです。この「絶対受容」の基底観念は、あらゆるものを包容し得る最大な許容力を所有し、異物に接する時の基本的な態度ということができます。それ自身、体系的な思考とは成り得ないのですが、ある時代、ある様式、ある思考を創造させる潜在力となるのです。(p.160〜p161)
   ※「成る」基底観念=「絶対受容」・「絶対無の場」。素晴らしい分析。

● 「成る」概念と「序破急」との関係を図式化(下の図・転載)し、その適応を受けた芸能との関係を見てみましょう。(p.169)
(拡大)


4 「七掛け」の歌舞伎の理論書とフェシュナーの法則
● 「序破急」という日本の特殊性を数式化することによって普遍化し、一般化することができると考えました。 「序破急」が刺激の量を経験的に制御することによって、伝統芸能の時間構造を保証していることから、 刺激の量を数式化したウェーバー・フェシュナーの法則が能にも当てはまることが分かったからです。 (p.13)
   ※日本の特殊性を普遍化するこれ以上の方法論はない。

● 田辺尚雄が彼の『音楽理論』(1956年)で、フェシュナーの精神物理学の法則を音階理論のうえに利用しているのに出会い、 その洞察力の鋭さに驚かされました。音階を知覚の問題として精神物理学の領域でとらえようとしたこと(p.21)、 今まで数学の問題であった音階の計算を知覚の問題とし、生理学の問題として扱ったわけで(p32)、 物理学者、音楽学者としての田辺尚雄の慧眼には脱帽せざるを得ません。(p.21、p.32)
   ※立派な先人の存在。

● 音響心理学では、音の高さ(フレカンス)を「広義の強さの中の一性質」と見なすようになってきている現在、 音の強度、音の密度、速さの漸進的増加にも(すなわち「序破急」にも)このフェシュナーの法則が適応できるはずだ、 と私は考えたわけです。(p.21〜p.22)
   ※時代を画するような著者の創造性。

● フェシュナーの法則は次の二つの項目から成り立っています。
(1)刺激の量の変化を限りなく少なくした時、感覚の量もまたこれとともに限りなく小さくなり、かつ感覚の強さの変化は連続的である。
(2)感覚の量は刺激の量の対数に比例する。
以上のことから、「序破急」の連続時間内における刺激の量の増加を次の数式で表すことができます。
          S=K×Log2×R+R
          注:SはR(現在ある刺激の量)に対し連続的増加を感じさせる新しい刺激の量を表す。
             Kは常数(刺激の種類によって変化する)
   ※「対数」の概念が難しいので「対数」を「累乗」と読み変えたい。

● 歌舞伎の理論書『戯財録』のなかで、とくに我々の興味を引き特記すべきだと思われるところは、 「狂言場行工合之事」と題する章です場行工合(ばゆきぐあい)とは、劇の場面の成り行きのことです。 ここでは五段を七場に分け、各場のだいたいの長さを台本の枚数によって示していることです。 …『戯財録』に示されている一つ目から四つ目までの枚数、およそ百枚、六、七十枚、四、五十枚、三十四、五枚は、 漠然と出された数ではなく、ある種の計算によって出てきたものです。この数値は、「序破急」の数式から出てくる数値と全く一致することが分かります。 次の表(転載)は常数〈K=1.43 R=17〉として計算した結果です。(p.118〜p.119)
戯財録と序破急数式 (拡大)


● 歌舞伎は能が行ったように「序破急」によるリズムの漸進的加速を取る代わりに、各幕の長さを短くすることによって 観客の知覚の量を制御し、一曲の構成をもたらしています。問題は、このような『戯財録』と フェシュナーの法則の数値の一致をどのように説明したらよいでしょうか?単なる偶然でしょうか? 偶然にしてはあまりにも数値の一致が完全すぎるように思われます。日本にフェシュナーの法則に取って代わるべき 計算法があったというのでしょうか? 実は、日本に、このような計算の習慣があったといわざるを得ないので す。というのは、『戯財録』に記された数値の比は一定であり、〈七掛け〉すなわち0.7を掛けて出した数字であることが分かります。 このことは『戯財録』が書かれた1801年以前、すなわち十八世紀の後半に、歌舞伎では一番の構成を、 台本で幕の長さを漸進的に短縮させることで制御していたことを示しています。(p.119〜120)
   ※ここの箇所は興奮してしまった。

● 日本の「序破急」もフェシュナーの数式も、刺激の量の漸進的増加を原則としているのですが、これに対し歌舞伎では、刺激の量の漸進的減少を経験的に「七掛け」で表し、フェシュナーの法則と同じ結果に達しています。このことは、「序破急」の非常に独創的な利用方法であるということができると思います。(p.121)
   ※フェシュナーの法則の勉強。 S=K×Log2×R+R Log2≒0.3で、この計算式は、
    S=K×0.3×R+R=R(1.3K)となり、Rが常数Kの1.3ずつ累乗していく、
    R(1.3K)(1.3K)(1.3K)・・であることを示している。つまりRが常数K
    の「三掛け」で増加していく。『戯財録』の「七掛け」の減少はこの裏の構造というこ
    と。
● 欧米文化では、観察、分析、分類を通り帰納的に法則化が行われたのに対し、日本では総合的に経験の世界から出発し、 そこから抽出された法則を演繹的に伝承していることが分かります。 また思考の把握の基礎に、前者は観念と概念化を置いているのに対し、 後者は知覚と感覚化を置いていることが分かります。(p.121) 
   ※興味深い文化論。

5 西欧における古典音楽(決定音楽)から具体音楽(非決定音楽)へ。日本における決定音楽(雅楽)から非決定音楽(能楽)へ。
● 決定音楽とは、音楽構成要素である「音の高さ」と「音の長さ」の基準を、約束事として前もって決定している音楽のことで、 雅楽、ヨーロッパ古典音楽によって代表される音楽のことです。その音高は基準音(ディアパゾン)、音階、旋法(調性も含めて)によって決定され、 音の長さは二分音符、四分音符、八分音符などの時間単位によって決定されているわけです。楽譜はそれらの決定要素と記号を結び付けて作成 されたもので、比較的正確な再現を保証されているといえるでしょう。
これに対し非決定音楽とは、能、義太夫、ある種の現代音楽などによって代表されるもので、その音楽構成要素の基準は前もって決定されておらず、 演奏家により自由に発せられた音から相対的、視覚的、位置的に決められていき、リズムもテンポもゴムのように伸び縮みを許すため、 音楽に決定性がないところから付けられた名称です。
しかし、ここで明記しておきたいことは、非決定音楽が決定音楽に比較して原始的な状態であるとか、 無価値なものであるとか、即興演奏であるとか、譜面のないことが原始性を表しているとかいう、軽率な判断を下すべきではないということです。
能の音楽のように、全く完全な構成を有している非決定音楽もあり、実にくだらない多くの決定音楽もあります。
非決定音楽とは「音の高さ」の上がり下がり、「音の長さ」の伸び縮みを、ある限られた領域内で許容する自由な音楽だということができます。 限られた領域とは、経験により習得し、記憶のなかにある原型を越えることのない範囲内のことで、 非決定音楽の方が決定音楽より一層生理学的要素にもとづき、知覚に根ざしているといえるでしょう。  
   ※「非決定音楽の方が決定音楽より一層生理学的要素にもとづき、知覚に根ざしている」この認識が大事。

また、音楽構成要素の基準が前もって決定されていないため、非決定音楽の楽譜は決定音楽に比較して相対的で、再現に当たって変化の度も大きいわけで、再演というよりは、原型からの再創造といった方が当を得ているでしょう。したがって、原型を記憶するにあたって、師匠からの直接指導もより必要なわけです。非決定音楽では演奏に密着したところで創造が行われるのに対し、決定音楽の創造は、一応演奏から切り離されて行われるわけです。日本の「序破急」は中国の決定音楽として入ってきた舞楽の演奏形式を、非決定音楽のなかで―とくに能音楽のなかで―発展させ、完成させたところに意味があり特色があるのです。知的に決められた演奏形式を、日本では具体的な経験と知覚によって再構成し、感覚化し、美的原則にまで高めたことです。 (西洋音楽の)リズムとテンポの違う三楽章構成から楽章の観念を取り除き、同じリズム、同じ小節の反復を取り除き、リズム感、強度、密度(音の数)、速さが少しずつ連続時間内で増加していくように変化させたのが、日本の「序破急」なのです。この変化は、知的に決定された反復する時間組織を、力学的増加を伴うダイナミックな知覚的時間組織に変化させたことを意味しています。(p.27〜p.28)  
   ※「知的に決められた演奏形式を、具体的な経験と知覚によって再構成し、感覚化し、美的原則にまで高め
   た」との日本文化の特質の分析、解説はすばらしい!


● 具体音楽とは、初期の機械音楽のことで、テープに録音された具体的な音素材を、 切ったりつなぎ合わせたり、変容させたり、重ねたりして音楽を作っていくもので、演奏過程を省略し、 作品がスピーカーから直接出てくるものです。ここでは、風の音、波の音、引っ掻いた音など、 あらゆる雑音も音素材として使用され、十二音平均率から完全に解放され、リズムもその音素材に内在する変容の時間がリズムになるわけで、 対位法、和声体系が必要とする奇数、偶数系の反復リズム、縦の制御から完全に解放されているわけです。 私がこの音楽に惹き付けられたのは、音素材が抽象的なド・レ・ミの音ではなく、リズムも1・2・3の抽象的な時間単位の 繰り返しではなかったためです。具体音楽には感覚的素材を直接構成していく、日本の芸術観に相通じるものがあったからです。

シェフェールは具体音楽の命名に対し、次のように述べています。
「雑音、引っ掻いた音、擦った音、汽車の音、断片的な言葉、これらの組み合わせにより創られた総合音楽に対し〈新音楽〉 と呼ぶことも可能だと思います。
しかし「具体音楽」は抽象的(ヨーロッパ古典)音楽にたいするもので、 与えられた音楽素材から出発しこれを構成していくものです。普通の音楽は音を書きそれを楽器に演奏させます。 すなわち、抽象的記号から出発し音響制作に到達します。この意味でミュジック・コンクレート(具体音楽)は全く反対の過程を取るわけです。」 (『創意と創造』78頁・音楽之友社)
ここでシェフェールの述べている「全く反対の過程」とは、日本では中世から行われている音楽に対する歩み寄りの方法で、 我々日本人にとっては、何もことさら新しいことではないのです。(p.179〜p.180)
   ※西欧具体音楽と日本の中世音楽の近さ。著者の驚くべき発見。

● 日本の伝統音楽は大きく分類して、決定音楽(雅楽、声明、筝曲など)と非決定音楽(能、浄瑠璃、尺八など)の二種類があり、これらはその構造から混同することのできないカテゴリーで、具体音楽は、この後者に分類することができるのです。そして、ヨーロッパの古典音楽(決定音楽)からこの具体音楽(非決定音楽)への移行は、日本の鎌倉・室町時代になされた雅楽(決定音楽)から能(非決定音楽)への移行と全く同じなのです。 この歴史的事実の一致は、非決定音楽である能音楽を研究すべきだという結論に私を達せしめたのです。
したがって、1965年から71年までソルボンヌ大学に提出する博士論文として、能音楽の研究に携わりました。 その結果は、1974年、フランスのクリングシック社からフランス語版が、1981年には東海大学から英語版が出版されています。」 (p.180〜p.181)
   ※「能音楽を研究すべきだという結論に私を達せしめた」丹波先生33歳←西欧古典音楽の混迷から。

● 音素材に決定性を与えれば、音楽は決定音楽となり、音素材を非決定のまま使用し音楽を作れば、 非決定音楽になるわけで、世界の大部分の音楽はこの後者なわけです。 ここでいう決定性とは、基準音(ディアパゾン)によって音階の諸音を決定し、これによって旋法・調性を決定し、 リズムは時間単位を適応することによって決定音楽が得られます。この決定性と結び付た楽譜は、後者より正確な再演が可能となるのです。
これに対し非決定音楽は、その音素材を前もって決定しておかないため、再演に当たっては音程、リズムのうえでも流動することがあるのです。 音素材の非決定性からくる当然の結果なのです。能のように非決定音楽でも、ひとつのかけ声も、一個の打音も即興することなく完全に再演ができるのです。ただ、一定の許容された領域内で流動するのです。この許容領域とは、習得期間に記憶のなかに刻まれた原型で、これを越えることのない枠内のことです。この領域は言語における認知の領域と非常に似ています。たとえば、「こんにちは」という挨拶の言葉は、地方によってそのアクセントも発音も抑揚も異なり、流動・変容するのですが、個人が記憶に保有している領域を越えることがなければ、理解し得るのと同じことなのです。(p.182)
   ※非決定音楽の許容領域を言語認知領域を使って噛んで含めるような説明。

6 能は音楽。歌舞伎は演劇。能と西洋音楽の違い。能の時間構造。
●世阿弥は、能を作ることは「種」――能の主題として発展させる素材を集めること。 「作」――音楽的リズム構成を作ること。「書」――台本の文書を書くことの三段から成り立っているといっています。 歌舞伎、人形浄瑠璃はこの第二の音楽的リズム構成はとられておらず、演劇構造をとっております。 もちろん現代映画、テレビの時代劇などは歌舞伎に近く、音楽的リズム構造はとられていないわけです。(p.10)
   ※能と歌舞伎の違い。ここからの解明は33歳の若き丹波先生の真骨頂。(2022.6.1)

● 能の構造は九段階の律動性による音楽のリズム構造を取っており、文学、演劇構造を取っていないということです。 もし誇張してこの能の特殊性を表現するなら、能から文章を取り払い「あいうえお」の五十音で文章を置き換え、劇的要素を削除して、 舞台上の動きを決定し、舞を選んだとしても能は立派に成り立ちます。
これに対し、江戸時代に発達した人形浄瑠璃、歌舞伎は、音楽的要素が多く導入されているといっても、 音楽的リズム構造は取っておらず、演劇構造を取っています。
したがって、「序破急」という言葉は、能から引き継いで伝統的に使っていますが、リズム構造とは関係なく、 全く違った使い方をして新しい劇的世界を開発することができたわけです。(p.96〜p97)
人形浄瑠璃、歌舞伎はこのリズム構造を破棄し、演劇構造をとっているところが能と本質的に異なるところです。(p.164)
● 能の音楽は和声組織を使用していないため、縦の線を制御する同時性から完全に解放され、 「序破急」のような、ヨーロッパ音楽とは全く異なったリズム構造を作り出すことができたのです。
とはいっても、能がヨーロッパ音楽の「拍子合」(ひょうしあわせ)を知らないというのではありません。「拍子合」は、「拍子不合」(ひょうしあわず)というリズム観とともに、能の「序破急」原則の一要素として時間構成に参加してきました。他方、ヨーロッパ音楽は計量音価を取り入れ、和声体系を完成したわけです。これに対し、能は抽象的な計量組織を取り入れず、人間の知覚に基礎を置いた伸縮のある心理的音価を用い、全く異なったリズム構造を完成できたわけです。(p.86) 
   ※西洋音楽の計量音価・和声体系 対 能の心理的音価・リズム構造

● 能の音楽では、抽象的な計算時間単位を音楽に適応することなく、感覚要素(強度、速度、密度、音の高低)をもって構成する、知覚的構造様式を取っています。…伸縮ある時間観のうえに能のリズム細胞は作られているため、喜怒哀楽の心理的表現には非常に適しているわけです。律動性を意識的に抑えた自然の時からはじまり、伸縮のある音楽的リズムを通り、より細かく、より等間隔な太鼓の律動性に達するのが能の時間構造なのです。この構造は、自然の力によって推進され、連続時間内に発展する発芽、成長、成熟を模して成立した「序破急」原則によって制御されているのです。(p.133〜p.134)
   ※能の時間構造=自然を模した「序破急」原則=心理的表現に非常に適す。

● 能音楽の構造は、リズム細胞、旋律細胞などの細胞組織によって成り立っています。この細胞は言語でいう「語」に相当する最小構成単位です。これらを記憶し、この記憶の枠を越えなければ変容があったとしても、相手に理解されるのです。この領域を越えると正しい理解がなされず、間違いが生じるのです。この「語」の統辞法にしたがった並列により、文章を構築していくのと同様、能音楽も細胞の統辞法にしたがった並列・累積により、構造を確保しているのです。この統辞法に当たるのが「序破急」原則といえるでしょう。もちろん、音楽は意味構造を持たないので、刺激の漸進的増加という美的原則がリズム細胞、旋律細胞の並列・累積に統一を与えているのです。この非決定音楽の細胞による構成法を、同じく非決定音楽である具体音楽に適応させ、はじめて作っ た作品が≪ボードレールによる二つの死≫です。…「序破急」原則を楽器にはじめて適応した作品は1969年の弦楽四重奏 とポタンショメーター(音量制御器)のための≪TATHATA≫(真如)です。(p.183)
   ※音楽における細胞という概念の発見。「序破急」原則は音の統辞法。これはすごい。

● 能音楽は、音の高さ、音価、テンポに非決定性を導入しているため、ヨーロッパ古典音楽に比較して不決定な様相を示すのですが、決して即興演奏ではありません。言い換えれば非決定性を導入した決定音楽といえるでしょう。…能楽には笛、謡いによって奏される旋律細胞、大・小の太鼓によって奏されるリズム細胞があります。これらの細胞は構造の最小単位で、途中で切ることはありません。これらの細胞を並列し小段を構成し、この小段の並列により中間構造である段を構成し、この段を五・六段並列することによって最大構造である一曲の能を構成するわけです。(p.185)
   ※少し見えてきた。

● リズム構造に適用された「序破急」原則は、四種類の異なった演奏法、二種類の打楽器奏者の奏法、 謡いと能管の二種類の計四種の奏法の組み合わせによって九段階の律動性(下の図・転載)を作り出し(p.90) この九段階の律動性の漸進的増加によって、能一曲の構造を保証しているのです。

音楽構造 (拡大)

はじめの1・2・3の三つの律動性が「序」の「アシライ拍子」で、伸び縮みのあるゆっくりとした、リズム感を消した律動性ですが、この三つの律動性のなかでも、漸進的増加が見られることはいうまでもありません。次の三つの律動性4・5・6は「破」の律動性で、「歌拍子」と呼ばれ、速さも強度も中庸を保ち、等間リズムも感じられるのですが、歌章の内容、これを謡うシテの心理状態を映し出し、ゴムのような伸び縮みがある律動性です。「急」の「乗り拍子」は最後の7・8・9の律動性で、リズムの反復性も現れ、速さ、強さ、密度(音の数)も最高に達します。第8律動性は舞を伴奏する曲で「舞拍子」と呼ばれ、最後の第9律動性は地謡による律動性のはっきりし た「切り拍子」と呼ばれるものです。このように、能楽は九段階の律動性の漸進的使用により、 一曲の構造を保証しており、リズムが構造の基本となっているわけです。これに対しヨーロッパ古典音楽は、 旋律を基本とした構造組織をとっており、ここに本質的な相違を見ることができます。(p.186)
   ※リズムの能音楽に対し旋律の西洋音楽

● 能音楽は連続時間内における刺激の量の漸進的増加によって構成された音楽で、知覚、心理学的要素を直接制し、構成していく音楽なわけで、これが精神生理学的書法(序破急書法)と名づけられる所以なのです。(p.187)
   ※能音楽の特徴:九段階の律動性の漸進的増加。

7 21世紀の音楽への提言…日本音楽と西洋音楽の融合(著者による非決定音楽の創造と序破急の適用)
● 「序破急書法」では、細胞の並列・累積により音楽構造が保証され、同時に刺激の量(音程、密度、強度、速さ)の漸進的増加によって、一曲の最大構造が確保されています。このような書法では、ヨーロッパ古典音楽の性格の対称的な第一・第二主題とその提示、テーマの発展、再現という構成法とは全く異なった書法が取られており、生理・心理的要素が直接、音楽構造の素材として使われているのです。 同時にこの構成法は、演奏技術でもヨーロッパの古典とは全く異なった、聴衆の心理・知覚に直接訴える奏法を作り出しているのです。たとえば、下からポルタメントによる音のアタック、グリッサンド、一音を浮かせたり沈めたりする〈メリ・カリ〉、大きなヴィブラート、装飾音と見なされる不規則なヴィブラート、聴衆の心理を直接刺激するかけ声、雑音化された音の導入などによって、主観的強度をより強めようという演奏技術なわけです。(p.187〜p.188)
● 「序破急書法」の七原則(p.188〜p.208)
@非決定性の導入  非決定性を導入することは能音楽と同様ですがこれは偶発性の導入とは異なり、 ある限界内で流動・変容を許容する、あえていえば、不決定性に枠を与えた決定音楽なわけです。(p.189)

A細胞組織による最小単位構造を確保する  ここでいう細胞とは、平均律の音を使用して作られた〈単位構造体〉のことで、構造の最小単位です。能のようにリズム細胞と旋律細胞に区分されることなく、ある種の「音型」を形づく っています。しかし、「音型」といっても古典音楽の主題とは異なり、発展・展開に使用されたり、途中で半分に切られたり、逆行させられたり、拡大・縮小されたりすることはありません。これらの細胞は反復、並列、累積を通し他 の細胞と相互作用して、その都度、新しい音の変容の世界を作り出すわけです。(p.192)
 
B細胞を序破急の三つのグループに分類する   能楽では、拍子は大きく「序」と「急」の二種類に分類されているだけです。我々の「序破急」書法では細胞は三つのグループに分類され、 各々の機能をはっきりと作曲するようにします。(p.193)

C本質的には音列書法(セリー)を否定するが、十二音平均率は音程の目安として使用する。 同様に反復リズム、計量的音価表示をヨーロッパ音楽の遺産として「序破急」書法に部分的に取り入れる。(p.188) 

D序破急の数式(フェシュナーの数式)の適応で、細胞の並列、 累積による刺激の量の漸進的増加を制御し最大構造を確保する。(p.188)

フェシュナーの法則は「序破急」 原則と全く同じわけです。また、当然(イ) 音の高さ、(ロ)音の速さ、(ハ)音の強さ、(ニ)音の密度(数)、などもこの刺激の種類に包含でき、この数式が適応できるわけです。(p.196)
  (イ)音の高さは、音響心理では広義の強さの一性質と見なされており、振動数の増加は刺激の量の増加と見な
   すことができるのです。 この音程の上昇にフェシュナーの数式をはじめて適応したのが田辺尚雄で、ここで
   は他の刺激にも適応しようというのです。(p.197)
  (ロ)音の速さとは、細胞の進行速度のことで、メトロノームの速さを使用することができます。(p.198)
  (ハ)音の強さは、人間の可聴領域内である30デシベルから100デシベル内を対象として、漸進的強度の
   増加を計算します。 非常にゆっくりとした強度の増加を必要とする時は、常数Kを0.45 前後とし、短い時
   間内に必要とする時は、 常数Kを0.9にすれば0.45の強度階梯のひとつおきの数値を得られます。
   (p.199〜p.201)     

   ※実際に常数0.45と0.9で計算をしてみる。
  計算式 K×0.3×R+R=S   0.45×0.3×31+31=35   0.9×0.3×31+31=39

   (ニ)音の密度もフェシュナーの数式によって計算できます。ここでいう密度とは約十秒間を単位として、こ
   の十秒間に刺激する音の数のことです。音の密度に関しては、音の強さ、音の高さ、速さに反して、心理
   学、生理学でもいまだに実験データはほとんど無く、確信をもっていえない部分なのですが、おそらくこの
   密度(音の数)にも、フェシュナーの法則が適応できるという想定のもとで進めているのです。(p.201〜
   p.202)
E編成の大小により七段階、九段階の律動性を設定する  刺激の漸進的増加は、編成により七段階でも九段階でもよく、その律動性は少しずつ拡大する七つまたは九つの重なり合う円によって表わすことができます。このような拡大する円によって、連続時間内に増加する刺激の量の漸進的増加を視覚化しようというのです。そして、円の重なり合う斜線の部分が流動する領域を表し、こ こで知覚の個人差を解消しようというのです。(p.203)
F律動性によるグラフと表を作り一曲の最大構造を把握する。一曲の最大構造は、次の三つの次元によって確保されます。第一は序・破・急の三つのカテゴリーに属する細胞で、この同種の細胞の並列、漸進的累積によって律動性の異なる小段(小セクション)を構成します。前記第6図のはじめの「序」の部分、1・2・3の律動性では、序の細胞のみの並列・累積によって漸進的増加を保証するということです。続く「破」の部分では破の細胞のみの並列・累積により、4・5・6の律動性の漸進的増加を確保するわけで、「急」の部分も同様に急の細胞のみの並列、少しずつ遅れて入る累積により、急の7・8・9の律動性が保証されるわけです。 この律動性の異なる小段の並列により、段(セクション)が得られます。律動性の異なる段(セクション)の並列によって最大構造、一曲が得られるのです。 したがって、一曲の構想に当たっては、一曲の時間内に「序破急」を何回採用するかを決めることです。(p.205) たとえば、弦楽四重奏とポタンショメーターのための≪タタター≫(真如)では、小さな編成ですので七段階律動性をとり、 「序破急」を三回採用し、それに「序」と「コーダ」を付けてみました。(p.206)

グラフ構造
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要素組み合わせ
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上の左第8図(転載)は≪タタター≫の構造をグラフで表したものですが、縦座標に七段階律動性を、横座標には小段を、 実際の長さには関係なく同等に表しています。 右 第9図(転載)は、この七段階律動性の刺激の組み合わせによる漸進的増加を表にしたものです。 第一律動性は、強度は35〜45デシベル、速さはメトロノームで四分音符が約35〜59の速さ、密度は単位内に約14以内の音の数で持続音を主にリズム感のない小段。第二律動はトリル、トレモロなどの主観的強 度の強い持続音を主に、強度は約40〜51デシベル、速度はメトロノームで50〜81ぐらいの速さ、密度は9〜23個ぐらいの音の数が持続音に累積する小段。以下、同じように連続時間内で刺激の量が漸進的に増加する律動性が得られるよう、組み合わせを想定していくわけです。(p.207〜p.208)  《タタター》は下記をクリックしてください。音で聴くことができます。作品 tathata(タタター)
● 以上のように、精神生理学的要素にもとづいた「序破急」書法を、能音楽と現代ヨーロッパ音楽の書法とを統合し、 創造してひとつの新しい音楽書法の可能性として追及し、数十曲の作品を書いてみました。この創造は既知のもの(ヨーロッパ音楽)と未知のもの(能音楽)とが遭遇した時に自然に行われたもの で、私はただ、フェシュナーの法則による数式化を試みただけなのです。私個人のなかで自然に融合されたということは、能のなかに凝縮されていた「成る」という時間観(刺激の量が漸進的に増加する力学的時間観)が、私のなかにも生き続いていたことを意味し、これがヨーロッパ音楽の時間観と遭遇して、必然的に作られた書法なのです。このことは非決定主義と決定主義との遭遇でもあるわけです。同時に、この折衷を積極的に推し進めた理由は次の二つの点に答えるためでもあったのです。(p.208〜p.209)
   ※「私はただ、フェシュナーの法則による数式化を試みただけなのです。」 なんと謙虚な著者の言葉。

● その第一の理由は、音楽的な理由です。1950年代から60年代のヨーロッパ現代音楽の状況は、日本の13世紀と非常に近い状態を示していたということです。決定音楽である雅楽から非決定音楽である能楽への移行は、決定音楽であるヨーロッパ古典音楽から、1960年代の現代音楽への移行と非常に 近いものがあるのです。…1970年代から80年代には非決定主義を押し進めた(図形音楽)や(文章音楽)にまで進みました。非決定主義の導入の度合いは、作曲家によってまちまちで、いまだに有効な共有し得る書法は現れておらず、十二音音列書法の後期的変更であったり、個人的和声体系を再度部分的に取り入れたりしているのが現状です。(p.209)
● その第二の理由は、日本の洋楽導入の歴史的条件です。……ヨーロッパ音楽が発展の一周期を終え無政府状態にあり、新しい書法を探索している現在、日本の能楽の非決定音楽観による時間観、構造観、演奏技法などは、時代遅れどころか、次の時代を拓いていくことのできる要素を多く持ち、新しい世界状況に適応したひとつの書法になり得る可能性があると分かってきました。すべての思考形式に、抽象過程を通り決定主義を採用してきたヨーロッパ文明が、音楽にどの程度、非決定主義を取り入れるかは予言できることではありません。しかし、この決定主義と非決定主義を、音楽史のなかですでに経験してきた我々日本人にとっては、雅楽の決定主義と能の非決定主義とを折衷し、21世紀の新しい書法とすることも不可能ではないのです。 …この「序破急書法」が、日本の、または将来のヨーロッパ音楽の発展の基礎になり得るのではない かという、一握りの希望は持っているのです。その理由は、1950年代から60年代に多くの作曲家が信じた十二音音列書法は、実はヨーロッパ音楽の最後の演繹的共通書法でした。この書法の合理的破壊機能は、ヨーロッパの音楽文化遺産を完全に壊滅し、その後は共通の書法は持ち合わせておらず、作曲家は個人の語法で話しているわけで、これが現代音楽を自閉症的状態に陥れている原因でもあるのです。そこで我々が提案した書法は、コミュニケーションが世界的次元で発達した現代、地域的、歴史的条件を取り除いたすべての人間の知覚にもとづいた、精神生理学的書法(序破急書法)を考えることは無意味なことではないのです。(p.209〜p211)
● ここで提案した「序破急書法」は、日本の14世紀以降、能楽のなかで試みられ、少しずつ完成してひとつの音楽書法として実証されているものなのです。この日本の14世紀の特殊性を、現代ヨーロッパ音楽のなかで再創造し、ここに提案したものがこの「序破急」書法なのです。…将来の作曲家は、頭の毛をかき乱して作曲するロマン派の作曲家であってはならないのです。これからの 時代の作曲家は、複数の音楽を知り尽くした音楽学者でもあるべきなのです。…以上のような意味で、無政府状態にある現代音楽に、「序破急」書法という精神生理学的要素にもとづいたひとつの書法の可能性を提示したわけです。これを発展させ、変容させ、共有の書法として創り上げていくことが必要なわけです。このような時、フェシュナーの数式(S=K×Log2×R+R)を使用するということは、音楽を無味乾燥なものにすることではなく、一度抽象化し、その抽象化のうえに各文化、各個人が具体的に生きいきとした特殊性を、付け加えていくためなのです。 換言すれば、特殊性をこのような抽象性を一回通すことによって、ある種の普遍性を付け加えることになるのです。…このような書法が、21世紀に要求されている書法のひとつであると思い、ここに提案したわけです。(p.212〜p213)
   ※特殊性は一回抽象性を通すことによって、普遍性が付け加えられる、との著者の素晴らしい方法論。

● 日本はたしかに、明治以来ヨーロッパ音楽を取り入れ、その一世紀間の成果は、欧米人が日本音楽を摂取し理解した以上に高いレベルに達しているといえるでしょう。このことは第一には、日本の伝統音楽が技術的にも美的にも、相違はあるとしても高いレベルに達していたため、異質なヨーロッパ音楽を理解する潜在的な能力を与えてくれたからだといえるでしょう。 第二には、なんといっても日本人の多元論、多数的思考形、また、入ってきたものは排除することなく包含し、新しいものを作り出していこうという「成る」創造観のよるものでしょう。このように見てくると、20世紀はヨーロッパ音楽との接触、吸収、把握の時代であり、この21世紀は日本伝統音楽との融合により、新しい日本音楽を創り出す創造の時代であることが分かってきます。この意味で我々日本人音楽家は、半分の道のりに達したということができ、これからがあとの残りの半分を開発、創造していく時代であると理解すべきではないでしょうか。(p213〜p.214)
   ※「精神生理学的要素にもとづいた」序破急書法が、「21世紀に要求されている書法のひとつであると思
   い、ここに提案したわけです」著者の深い思索と成果を日本人として感謝と誇りをもって真摯に受け止めね
   ばならない。(2012.7.31)


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丹波明 講演会記録
2014年6月3日
東京芸大
講演中
講演後 津留崎直紀チェリストと











2014年7月18日
つくば大学 青木教授と
講演中
聴講者

       



 2014年7月14日    早稲田大学 小沼教授との対話    聞き手 小沼純一 文学学術院教授

◆紹介

小沼:今日は作曲家の丹波明さんをお迎えして、おはなしをうかがいます。

丹波明さんはフランスと日本を行き来するなか、作曲活動はもとより、日本の伝統音楽、特に能の研究者として知られています。 フランスで日本の音楽を学ぼうとおもったときに、丹波さんのいくつかの本------ 『La structure musicale du no: Theatre traditionnel japonais(能の音楽的構造)』(Klincksieck 1974)、 『Musiques traditionelles du Japon. Des origines au XVIeme siecle(日本の伝統音楽 始源から16世紀へ)』 (Cite de la Musique/Actes Sud, 1995)、『La Musique classique du Japon : Du XVe siecle a nos jours (日本の古典音楽 15 世紀から現在まで)』(POF, 2001))------は欠かすことのできないものです。
   
また、この列島においては、1972年に刊行された『創意と創造』(音楽之友社)があり、 ここではオリヴィエ・メシアンからピエール・シェフェール、アンリ・デュティユー、そしてピエール・ブーレーズ、 ジルベール・アミ、リュック・フェラーリといったフランスの作曲家たちとの対話を中心に、 タイトルに掲げられた音楽を創造することについて記されています。近年では、2004年の『「序破急」という美学』 (音楽之友社)を忘れることはできません。

◆フランスの影響、その有/無

小沼:丹波さんはフランスのパリを拠点とされていらっしゃいます。 しかし同時に、日本からヨーロッパにむけ、いわば外からの視線をおもちです。
ヨーロッパにいらっしゃるなかで、芸術音楽というものの位置づけ、意味、そして日本との違いをお伺いできればと思っています。

わたしたちは芸術音楽と言う時に、例えば「クラシック音楽」ということをいいます。しかし、20世紀から21世紀にかけ、芸術音楽が多くの人たちから遠くなってきてしまった。 あまり聴かれなくなっている。そうした状況があります。それはこの極東の列島にいるからなのか、それともそれだけではないのか、わたしはずっと気にしています。
そもそも芸術音楽はヨーロッパから生まれているわけで、当然、極東とは違いがあるだろう。そのうえで、実際に作曲という行為で芸術音楽の現場に携わっておられる丹波さんのお考え、 感触をうかがわせていただきたいのです。

小沼教授と
丹波:今おっしゃった問題については、他の問題がいろいろ派生してくるんですね。それで僕が日本人でありながらフランスにいて、 どうして日本ではなしにフランス・パリで、 作曲を続けているか、ということをお話したほうがいいかと思います。

 僕が留学する頃までは、日本の人がヨーロッパに行って学ぶ、という態度だったわけです。もちろんいつでもどの国からも学べるんですけども。フランスに行ったのは1960年です。 ですから既に50年以上前になりますけれど、その当時は日本も敗戦後でしたし、その15年後で、まだ日本の”円”がお金として通用していなかった。あらゆるお金をアメリカのドルに換えて、 それを送るようにするなどしていた時代ですから、まだ洋楽に対する考え方もかなり踏襲的な、伝統的な留学の態度を取っていました。

どうして僕がフランスに行くようになったかと言いますと、作曲の先生が池内(友次郎)さんだったのです。池内さんは、 戦前、フランスの音楽学校、コンセルヴァトワールに留学し、 そこで学んだ方です。日本に帰って来て、敗戦を味わい、その後あらためてフランスに旅行なさった。 そのときは東京芸術大学の先生でしたから、一週間ぐらいパリに行かれて、すぐ戻られた。 そのときにフランスのコンセルヴァトワールに日本の学生を受け入れる、というような話し合いをしてなさったわけです。 フランスはといえば、日本に対する戦勝国だったので、 勝った国として日本を援助する、という意味合いで給費留学生を出してくれていました。そして給費留学生の試験を受けてみろ、 というから受けてみたところ、通っちゃったんです(笑)。
   
僕はアメリカに行くことになっていたんですけども、それを急遽やめ、フランスに行くことになりました。ですから急にフランス語を勉強し始めたのです。 ちょうど住んでいる横浜にフランスの領事館があって、そこにアリアンス・フランセーズというのがあったんですね。そこでフランス語を教えていたので通いまして、 英語をいきなりフランス語に替え、フランスに行った。

で、僕は「フランスで何を学びましたか」とかよく聞かれるんですけど、答えるのに困っちゃうんですよ。 「(オリヴィエ・)メシアンには何を学びましたか」とか 「(クロード・)ドビュッシーにはどういう影響を受けましたか」とかって聞かれるんですけど。 というのは、僕はフランスからひとつも影響を受けていないんです(笑)。
というと嘘にもなるんですが……すべてフランスから影響を受けたんですけども、実際には何も受けていない、 そんな言い方をしたほうがいいですね。そういう何か矛盾があるわけです。
   
どういうことか、ということをご説明しましょう。メシアンが僕に教えてくれたことで、 音楽の技術的なことというのはひとつもなかったんです。彼のクラスにいてもね。 メシアンのクラスというのは作曲ではないんです。作曲を彼は教えていなかった。美学を教えていました。 それで作曲のクラスに行ったって、東京芸大を卒業していけば、 ほとんどトップで賞を獲れますし。そういう技術的な意味ではほとんど学ぶことはなかったわけです。    
僕がどうしてメシアンからあらゆるものを学び、そして学ばなかったのか。 メシアンが僕に教えてくれたことで日本では絶対に学べないことがたったひとつあるんです。

それがすべてだった。それは、他人から教えられたことで作曲しちゃだめだ、ということです。自分の書法を作りなさい、ということなんです。それを学んだわけです。それで、 メシアンはどういう風に自分の書法を作っていくか、ということを教えてくれた人です。

技術的に、例えば、ピアニストだったら、ベートーヴェンのソナタのこういうところはこういう指使いで弾きなさい、とかそういうことを学ぶ。だけど、 そういうことは日本の音楽的なレヴェルが上がっていたから、もちろん学ぶことが出来ることも一杯あるにはあるのですが、そういう意味では、ほとんど学ぶことがなかった。 そういうふうに、つまりメシアンが言ったように、作曲は自分の書法を作るところから始めなさい、と教えてくれた人は日本にはいない。

メシアンは三つの過程をとおりなさい、と教えてくれました。まず自分の書法を作る前にあるものを勉強しなさい。 現代の作曲家というのはあらゆる意味で音楽学者じゃないといけない、と。昔のようにあたまを掻きながら、悩んで作曲しているようじゃだめだ、 ベートーヴェンの時代はもう終わったんだ、とはっきり言うんですね。はっきりと自分の書き方を作るところから始めなさい、そのためには過去にあった音楽形式を勉強しなさい、 そのために作曲家は音楽学者であらねばならない、とはっきり言うんです。
   
そして過去のものを勉強するにあたって、まず、第一に分析しなさい。分析の後には分類しなさい。分類した後には、分類したものから原則を引き出しなさい。 その三つの過程を通って自分の書法と融合しなさい、と。
   
それはヨーロッパの手法がものすごく個人化してきてしまったからなんです。さっき芸術音楽がなくなったとおっしゃっていたけれど、そこに理由があるんです。 個人的になりすぎて、いわゆる芸術と言うジャンルの音楽がなくなってきてしまったんですね。それで個人の書法、個の表現というようになり、共通の語法がなくなってきてしまったわけです。 そういう意味で芸術音楽がなくなってきてしまっている。そして個の語法というのは今の、現代の語法であり、 分類した語法と言うのは過去の伝統的なものなんです。

僕は何を融合すべきか、日本人でありながらヨーロッパ音楽のなかで何をどういう風に生きていくべきか、ということを考えたんです。それはつまり、 ヨーロッパと日本というものを融合するということになります。 そうして僕は、ヨーロッパ音楽と自分に一番身近な日本の音楽を融合するということを考えだしたわけです。

日本の文化というのは何も僕がはじめて融合を考えたわけではないんです。大昔から日本の文化というのは融合をしてきていて、サンクレティック(syncretique)な文化だから。 サンクレティスムというのは混合というか、混ぜ合わせる文化なんです。それはひじょうに違う創造観なんだけども、折衷文化が必ずしも悪いということはないと思うんです。 例えば平安以前の奈良時代の文化もみんなそうだし、中国大陸からきた文化と日本の土俗の文化とが一緒になって少しずつ出来てきている。仏教にしろ、 日本の仏教というのはインド・中国の仏教と違って、日本の神道と結びついて出来ている仏教です。 そういう意味でずっと日本の文化のあり方そのものがそういう風に出来ているわけです。
   
日本の土俗のものとアジア大陸であった中国とが、特に、1900年代になると日本の土俗と今度はヨーロッパのずっと西の方の大陸の文化が入るようになってきたわけです。 そういう風に混ぜ合わせる文化というものはひじょうに違うのだけれど、混合してできる、サンクレティックな文化というのを日本は築きあげてきているわけです。 その文化というのは、例えば明治初めの1872年に伊沢修二さんという第一回目の今の芸大の、東京音楽学校の学長。その人がヨーロッパ・アメリカにどの音楽を採りに行くべきか、 というのを二年くらい回って帰って来た。その時に折衷という問題をものすごく考えていたんです。それを考えると日本の伝統音楽とヨーロッパの音楽の折衷ということは、 日本の文化の本質なんです。

小沼::昔から大陸と日本があり、19世紀後半になれば西洋と日本となる。加藤周一さんがまさに雑種文化という言い方をされいらっしゃったことを想いおこします。 音楽において、明治期に西洋音楽を学び、まさに折衷した音階が生まれ、それによって多くの作品が生まれました。童謡などもそうしたなかにあるでしょう。しかし、 第二次世界大戦が終わると、どっと西洋的な音組織が前景化してしまいます。そして、今、若い人たちは伝統的な音楽を知らなかったりするし、感覚的にも馴染みがない、 ということが起こってきてしまっています。この列島には昔から長調と短調の音楽があると思っていたりするわけで、なかなかに難しい……。

◆創造について? つくる・なる

丹波:ちょっと本質的な問題で話しておいた方が良いと思うことがあるんです。それは創造観の問題なんですね。  
創造観というのは、僕がさっきメシアンには何も習わなかったけどすべて習ったというようなことを言いましたが、それは創造観の問題なんですね。 日本の創造観とヨーロッパの創造観は全く逆なんです。それはつい最近の、昨日の問題じゃなくて紀元前600年前とかからずっと 続いている創造観の違いなんです。
   
どういうところに表れているかというと、聖書があります、旧約聖書。そのなかに天地創造がある。 どういう風に宇宙が創られたという。そのときに、 聖書では神が第一日目に光を創ったというんです。
この「三つ」がヨーロッパでははっきりしているんです。「神が」「光を」「創った」という関係が。 そして動詞としては「創る」という言葉をはっきり使っています。

ところが日本の7世紀に書かれた日本書紀ではそういう「創る」という言葉は出てこないんです。 じゃあ、どういう言葉が使われているかというと「成る」という言葉が使われている。神様という風な創造者もない。神がひとりでに成った、ということで、 神様もひとりでに成っちゃうわけ。何か自然の中に大きな力があって、その力のことを「むすび」というんですね。そしてその力が神を成らせた、ということです。 だから創る人はいないんですよ。そこが創造観の一番の違いです。
   
それで、日本の神様はひとりでに10柱(とはしら)、神様を柱(はしら)と勘定するわけですけども、10柱までの神様は全部ひとりでに成る。 そしてその後に初めてイザナギとイザナミという男と女の神が出来てきて。その前の10柱の神様というのは全部中性なんですね。男でも女でもない神様なの。 子孫を残さないで死んでいくわけです。イザナギとイザナミが成ってから、男女の交接によって子孫が生まれるようになる。 そしてイザナギとイザナミが「国生み」ということで、いろんな日本の国を作っていく。まず四国を創ったり、本州を創って、厳島を創ったり、といろんなところを創っていくわけです。 そういうことで日本の場合は産むとかいう言葉を使っているわけ。
   
それに対してヨーロッパでは今でも「ベートーヴェンが何年にピアノ・ソナタ第何番を創った、創造した」ということで出来ているわけです。 これがいまだにヨーロッパの創造観なんです。我々は明治以降、ヨーロッパ音楽の作曲法を取り入れることによって「丹波明が何年にピアノ・コンチェルトを作曲した」 という風になるわけですよね。そういう風な作曲の勉強を習ってきたわけ。 すると法律的な、著作権だとか言う問題が出てくるわけですよ。 ところが実際の感覚としては日本人の作曲家というのは「成る」という感覚で作っている。 前から教わったテクニックで持って曲を「成らせる」わけで、創るという意識がないんです。 そこがひじょうに違うということを僕はメシアンから習った。 ヨーロッパの音楽の歴史には「成る」という感覚はひとつもなくて、全部「創る」という意識で成り立っています。

小沼:例えば芸大で作曲を学んでいても、誰々風、何々風に作るとかということになりますね。

丹波:まさにそうです。流派みたいなものがあって、ドイツ流にとか、フランス流にとか。そういうことはヨーロッパにもあるんですけどね。 伝統主義者というか、伝統的に作るというのは。    
ものすごく伝統主義を主張した人としてはセザール・フランクだとか、ヴァンサン・ダンディだとか、そういう人は伝統主義者だからドビュッシーをいじめたわけです。 ドビュッシーはおもしろいことを言っています。この作曲家は本当の意味で(リヒャルト・)ヴァーグナーの信奉者だった。それがどういう風に表れてきているかというと、 バイロイト音楽祭に二回も行っているし、《トリスタンとイゾルデ》を観に、ヴィーンまで行っている。今だったら飛行機に乗ればいいけど、 当時はパリから何十日もかかって行くわけですから。そのくらい情熱的なヴァーグナーの信奉者だった。そういう人が、ヴァーグナーの後には何があるべきかを考えなさい、 と言っている。ヴァーグナーの後には何があるべきを考えて、ワーグナー主義のひとりになることは考えなさんな、とはっきり言っているんですね。 それ、僕はすごいことだと思う。
   
ヴァーグナーを踏襲して、どのようなものを作ればよいか、 ということでドビュッシーは《ペレアスとメリザンド》を作っているわけです。

そういう風な言い方がふたつの創造観の違いをよくあらわしていると思うんです。ヨーロッパの音楽史というのは全て続いているように思えるけど、 そうじゃない。みんな自分の言いたいことをどんどんつけ加え、新しくしようという意識をもってきたんです。それが音楽史として残っているわけで、 何も真似て続けてきたものはひとつもないんです。
家元から流派で持って繋いできたものはひとつもない、ということを学んでいただきたいと思います。

小沼:画家のギュスターヴ・クールベがアヴァンギャルド、前衛という言い方をしたようですが、 そうした意識はずっと持続されてきたと言えるのではないでしょうか。ところで、メシアンには、 いわゆるヨーロッパ外の地域からの学生もいたと思うのですが、 異なった文化を背負った人と出会われるなか、丹波さんはどういう風なことを考えられたのでしょう。

丹波:僕が出会った異国の人はヴェトナムの人が多かったです。ヴェトナムが当時フランスの植民地だったということもあったし、 1962-3年はヴェトナムから戦争を逃れてきた人がたくさんいました。それから東欧の共産圏の人もだんだんと流れてきていました。でもひとつの目的は音楽をする、 ということだったから、みんなそれでもって統一されていたと思います。

小沼:例えばヴェトナムの作曲家たちはヴェトナム的なものを西洋的なもののなかに融合させる、そういうことをそばでご覧になっていたのかどうか……。

丹波:そういうことはあると思いますね。自分の国のものを融合させたいという意思はあるんじゃないかな。

◆決定音楽/非決定音楽

丹波:ここで今度は音楽的な問題にはいってみたいと思います。 ヨーロッパ音楽と他の国の音楽を融合するということの音楽的な意味についてです。 
   
具体的に言うと、ヨーロッパの音楽は「決定音楽」なんです。そして非ヨーロッパ音楽というのは「非決定音楽」なんです。 一概にそうくくれるわけではないけれど、 こうした差があるということです。

決定音楽というのはあらゆる要素が作曲する前に決定されているということ、音が十二音階によって、平均律にあわせてあるんです。 バッハがフーガを書いて平均律を広めた。平均律のルーツはフランスのラモーだとかにあったわけですけれども。 平均律によって音の高さが全部決まっている。 それからリズムが13世紀にカッチリきめられたわけです。時計に歯車が初めて入ってそういう感覚が出てきた。 そして初めて時間が物差しによってはかられるようになった。 そういう風な感覚を創ったのをアルス・ノーヴァというんです。
それ以前は長短、長短という風なリズムでやっていました。 決定音楽というのはそういう風にあらゆる要素が決定されている音楽です。
それに対し非決定音楽はそのようなことを知らなかった音楽です。 でも、非決定音楽は全くのでたらめということではない。非決定音楽も少しは ずれが出るけども、
丹波明『能音楽の構造』
ずれを包含した決定性があるわけです。
それが能に使われている。    
そういうことを僕が逆にメシアンに教えた。で、そういう風な研究をさせてくれたのがフランスという国なんです。 僕はC.N.R.S.(Centre national de la recherche scientifique)という国の機関でしごとをしていました。訳すとフランス国立科学研究所となります。 そこが、僕に日本の音楽を研究するならば、フランスの公務員として雇ってくれると言ったんですね。

小沼:もともと能についてはお詳しかったのでしょうか。

丹波:そんなに詳しくなかったけれども、芸大には既に能楽科があったし、音はしょっちゅう聴いてましたね。

小沼:そういう風なものを西洋的な視点でみていったらどうなるか、ということをやられた、と。

丹波:そうなんです。ものすごく難しかった。
   
要するに能というのは非決定音楽なんですね。それを決定音楽の人にどういう風に知らせるか、ということです、だから僕はしょっちゅうメシアンと議論していました。 例えばメシアンは鼓をうつ前のかけ声の音程を書かなくちゃいけない、という。
でもかけ声に音程を書いたら意味がない。 かけ声というのは悲しい場面には同じかけ声でも悲しくかけなくちゃいけない。楽しい場面では楽しく。そういう心理的な音素材なの。 そういう音素材というのはヨーロッパ音楽にはないんですよ。 悲しいドという音は出しようがないんだから。

小沼:丹波さんの〈タタター(TATHATA)〉にはかけ声が入っていますね。

丹波:この曲は弦楽四重奏のための作品です。TATHATAは漢字で書くと「如」、サンスクリット語です。 「真如」ということを言う人もいますけども。現実そのものだ、ということ。これは1968年に書いた曲です。
   
この年はフランスでパリ五月革命がおこってあらゆるものが変わった年でした。音楽院は全部占領されて、伝統的な先生たちは全部追い出されてしまった。 占領されたあらゆる教室には浮浪者が入ってきて。そういう風に全く機能が停止しちゃったわけです。以前から、伝統という形式、 音楽観を変えなくちゃ、ということが言われてはいました。でも、ある種の惰性でもって、1968年まで続いてきたのです。それが、 1968年に学生が、自分たちの習ってきたことに全く意味がない、とわかりだす。そういうものと社会でやることの差があまりにもありすぎて、 それがもう我慢できなくて、ストライキに入っちゃった。そうすると労働組合がそれに参加し、フランスは五月革命という社会状態になったわけです。
   
音楽も例外じゃなかったわけで、どういう風な新しい音楽を創らなきゃいけないか、ということが作曲家に課されたわけです。 そういうときに僕が書いた曲が〈タタター〉です。この曲には伝統的な教育のなかでこれは使っちゃいけない、と言われたことを全部使っているんです。 だからあらゆるやっちゃいけないことのなかでも曲が出来るんだということで、逆の意味で使ってみました。そのなかでかけ声だとかを使っているわけです。 ヨーロッパの弦楽四重奏のなかで声を出すなんてこと、ましてやヴァイオリニストが声をだすなんて一切なかった。
   
この曲に関しておもしろいエピソードがあるんですよ。初めてこの曲を録音してくれた弦楽四重奏団の話でね。 もともとフランスの放送局の注文として書いた曲なんですけれど、学生騒動が起きる前に書きました。それで当然フランスの放送局のスタジオで録音したわけですが、 その人たちが突然、休憩をとりたいと言うから、いいでしょう、となった。すると第一ヴァイオリンの人が音楽部まで行って、 超過料金を請求したんです。どうしてかというと「私たちは弦楽四重奏を担当する弦楽四重奏者で、声を出す歌い手じゃない」というんですね。 声が入ってるから超過料金を出すべきだ、というんです。そうしたらそれが通っちゃったの(笑)。

意気揚々として帰ってきて超過料金が出た、というんですね(笑)。 そういう時代だったんです。ですから弦楽四重奏者に声を出させるということは今では当たり前だけど、この頃はありえなかった。 いまは逆にみんなが使うから僕が使えなくなっちゃった。他人の真似するのはいやだから。
   
あと、ヴェトナムの人たちとか異なった国の人たちが、という話がさっきあったけども、この人たちは「非決定音楽」と対決はしてないんです。 要するにヨーロッパの伝統的な「決定音楽」のなかで作品を書いた、というようなことだと思います。

小沼:たとえば日本の方々だと、どちらかといえば、帰国されると、アカデミシャンとなってしまった……。

丹波:そうですね。結局そうなっちゃうんですね。

小沼:それにしても、パリにいらっしゃって「非決定音楽」を、日本の伝統音楽を研究するのは、資料もないし、 なかなか現実の演奏も聴くこともできないし、困難だったのではないでしょうか。

丹波:難しかったです。だけども芸大の時の友だちがずいぶんいましたからね。そういう人たちに手紙を書いては情報をもらいました。 それから非決定音楽という問題に関係してくるのが、ミュジック・コンクレート(musique concrete具体音楽)です。その辺はどうお考えになる?

小沼:初期のピエール・シェフェールやピエール・アンリがやっていたのは楽音と非楽音の区別をなくすということだったと思っています。 それは録音するメディアというものが発達し、生まれたものでしょう。INA-GRMのCDのボックスがありますね。丹波さんの作品も収録されています。ごく初期の、 とてもプリミティヴなミュジック・コンクレート、文字どおり、具体的な、現実音を使ってという作品から、電子音響に変化して80年代くらいまで推移するさまがよくわかっておもしろい。 そうしてまとめられたものを聴いてから、あらためて初期の作品に戻ってみると、どうしても具体音というのは、しばしば変形はされていても、 何の音かわかってしまう、イメージできてしまったりするものがあったりするわけです。そうしたところで、演劇的というか、ラジオ・ドラマのように聞こえてしまう、 というところがあるように思うのです。

丹波:音と生活が結びついてしまうんですね。GRM (Groupe de Recherches Musicales)というのは僕たちが作ったんですけど、 僕は1964年くらいから3年か4年いました。リュック・フェラーリとかと同時期です。リュックはすごくいいやつでね。あんなに良いフランス人は珍しい(笑)。 ただリュック・フェラーリはコンセルヴァトワールを出てないんですよ。だからすごく良い(笑)。アカデミスムをうちこまれなかったから。

それで僕がどうして数年でGRMをやめてC.N.R.Sに入ったか、という理由なんですけども、僕がここで提唱したことは、いろんな録音した音素材を勝手に使っても意味がない、 ということだったんです。それこそ生活のことをレミニッサンス、思いださせてしまうということがあるから。それがないほうが良いと言った。 そのためには細胞(cellure)というものをつくった方が良いというようなことを言ったわけです。
聴講者
   
細胞というのは、具体音を一杯重ねて細胞をつくる、ということなんですが、こういうものを30くらいつくっておいて、最小構造を積み重ねることで、 映画のモンタージュのように最大構造をつくっていくというものです。それを提唱したら総スカンにあっちゃった(笑)。どうしてかというと、 当時はあらゆる構造的な意識を否定していたからなんですよ。その時に僕が新しい構造のシステムを提案したもんだから。そういうものをなしに作ろうとしていた、 というのが60年代だったんです。
   
どうして僕がそれを提案できたか、というと、それは能の音楽を研究していたからなんですね。というのは、 先のはなしとつながってくるのですが、こうした決定音楽というのは、日本に既にあるんです。

決定音楽というのは雅楽で、非決定音楽というのが能なの。雅楽は8世紀で、能は13世紀。 ヨーロッパのクラシック音楽だと18世紀から20世紀に雅楽から能への変化が当たるわけです。

18世紀から出てきたクラシック音楽が20世紀になると非決定音楽に近づいてくる。

というのは芸術音楽がなくなってきたということです。

芸術音楽がなくなってきたときに初めて20世紀になってきたわけです。それはメシアンがしょっちゅう言っていることなんです。 「だからおまえさんたちはヨーロッパ以外の音楽を研究しなくちゃいけない。そして非決定音楽がどのような構造でできているかを調べて、それを分類し、 そこから原則を引き出しておきなさい。そしてそれを現代のものと折衷して、自分の書法を作りなさい」ということを言うわけ。

◆《白峯》

小沼:ここで9月に初演される《白峯》について、話題を移してみようとおもいます。 このオペラ、ご自身では「楽劇」とおっしゃっているのかもしれませんけれども、もともとどういうきっかけで生まれることになったのでしょうか。

丹波:もともと僕は三部作のオペラを書いてみたかったわけです。それはキリスト教によるオペラと、仏教によるオペラと、 それからイスラーム教によるオペラと。その3つに関連したオペラを書いてみたかった。仏教やキリスト教といった宗教そのものに興味があるわけじゃないんですけれども、 その宗教がどのように人間の生活に関係してきているのか、という関係の問題に興味があるんです。ですから仏教と神道が日本では神仏混合という言い方がされていますが、 本当は混合されていないんです。

本当に信じられている宗教は仏教じゃなくて神道なんです。僕はそういう風に感じています。

神道であり、神道というものを仏教と認めるか、というのは他のひとつの大きな問題ですけれども。 日本人は仏教徒である以上に神道、仏教が入ってくる前の信仰が強いんじゃないか、と思っています。どうですか?

小沼:先祖の霊がお盆に帰ってくるじゃないですか、日本の仏教は。本当の仏教では帰ってきたりしませんよね。

丹波:仏教はそういうことはないですよ。

小沼:もともとの仏教だったら、本当に涅槃に行ったら帰ってこないわけだし。

丹波:帰ってくる必要がないんですよ。

小沼:つねづねおかしいな、とは思っているんですけど。本流からいえば異端でしょうかね。

丹波:そう思います。それで、帰ってくるために神社があるんです。

小沼:だから神社の中は空っぽなんですよね。

丹波:そうです。そういう意識だから。《白峯》をやってみて、僕は仏教以前の意識が強く日本人に残っている、ということをつくづく感じました。

小沼:そういうこともあってこの上田秋成の(『雨月物語』に含まれる)テクストを選ばれた?

丹波:そうです。それは時間的な偶然というのもあります。僕はキリスト教の作品から作り始めたいな、と思っていたんですけど、 そうしたらちょうどパリの東洋語学校に教えに来ていた日本人の文学者がいて、それが2001年くらいの話なんだけど、その人が台本を書きたいというんです。 だから、書いてみてください、ということで、何をネタにしようか、ということで話し合って、じゃあ、『雨月物語』の一番初めの「白峯」はどうだろう、ということで。    
読み直してみたらおもしろいんですね。いいんじゃないか、と。で、その人に台本を書いてもらいだしたのです。ところが、 その人の書いてくれる台本は音楽にならないんですよ。どういうことかというと、僕が上がりたいな、という節の時に、その人は下がる音を使ってきているわけ。 それで僕は一生懸命辞書を引いて上がるような言葉を探して「これを使いたいからこういう言葉に直してほしい」と言うわけですよね。 すると始めのうちは、良いよ、と言っていたのが、あまりに全部替えなくちゃいけないもので、その人が怒りだしたんです(笑)。それで僕に才能がない、って(笑)。 そんなこと言われたって上がりたいな、と言う時に節が下がったらどうしようもないから。だから結局交渉が決裂しちゃったの(笑)。
しょうがないから僕は2、3年やめて、本を書いた。それが『序破急』(音楽之友社 2004.8.10)でした。
それからしばらくして見直してみたら、 これは続けてもいいんじゃないか、と思って、リブレット(脚本)も自分で書こう、ということになった。文章は擬古文で書きました。 現代文じゃ12、3世紀の物語はちょっと語れないよね。だから「そうろう」とかを語尾につけて、文章を偽の古文にしました。

小沼:現代文だと音符に乗せにくい、というのはあると思うのです。

丹波:切りにくいんです。節を止めにくいので。

小沼:文語体になっていると終止形がうまく出ると言う感じですかね。

丹波:そういうこと。擬古文だと文章が終わった後、語尾に何かついてるんですよ。だからすごく良い。 ところが現代文だとパッと終っちゃうわけだから変な終わり方になっちゃう。

小沼:日本でよく演奏される「創作オペラ」は、そういう現代語で書かれているものが多いですね。 だからはじめて《白峯》をチラシで拝見したとき、スコアがちょこっと出ているのですが、擬古文なんだ!、ととても腑に落ちたのです。 じつは、最初、フランス語で書かれるんじゃないか、と思っていたんですけれども。

丹波:フランス語で書いたものもかなりあるんですけどね。

小沼:そうでしたか。残念ながら、それは拝聴できていませんけれど……。今回、 《白峰》の演奏会形式では、オーケストラとオンド・マルトノが二台という、特殊な編成をとられています。

丹波:オンド・マルトノというのは音量を増やすのにすごく良いんだ。弦がすごく少ないんですよ、名古屋のオーケストラ。

小沼:なるほど。オンドがつかってある劇作品といえば、オネゲルの《火刑台上のジャンヌ・ダルク》がすぐ想いうかびますが、 複数の使用ということでは、メシアンの《アッシジの聖フランチェスコ》がありました。4台でしたかしら?

丹波:3台。だから僕は遠慮して2台にした(笑)。

小沼:今はオンド・マルトノの演奏家が日本に何人もいらっしゃいますからいいけれど、 なかなか演奏の機会を持つのが難しいかとおもいます。

◆「オペラ」

小沼:21世紀現在、オペラはいろいろ作られはするけれども、20世紀の途中でピエール・ブーレーズなどは、 オペラはもう終わっているという風に言ってしまいました。それからしばらくオペラはあまり表舞台にでてこなかったりもしましたけれど、 20世紀も80-90年代になってくると、いろいろなオペラハウスが委嘱作品をやったりという状況が生まれ、現在まで続いています。丹波さんからすると、 現在のオペラの機能・意味はどういう風にお考えでしょう?

丹波:正直に言うとオペラというのは、もうあるべき姿にはないですね。というのは、あまりにもお金がかかり過ぎて、現代の音楽界が支える領域を超してしまった形式だと思うんです。

小沼:いま、実際に海外のオペラハウスで、こういう新作が書かれます、初演があります、というと人は集まるかもしれない。でも、それで新しい体験に本当になるのか、あるいはその体験を持ち帰って生活の場で何か考えるきっかけになるか、 というとちょっと難しい気がするのです。もちろん作品の質にもよるのですが。作曲家にとっての芸術作品は、新しい作品を生み出すきっかけであり、ある種の表現であるということは変わらないと思うんでしょうけれども。

丹波:それは変わらないと思う。ところがね、オペラを作曲している作曲家には2種類あると思うんです。 ひとつはオペラばっかり書いている人、例えばヴェルディとかプッチーニとか、ヴァーグナーとか。そういう人たちの作品と、 もうひとつは一生に1作品くらいしか書かなかった人もいるんですね。ドビュッシーにしろメシアンにしろデュカにしろ、ね。 そういう人の音楽の違いをみると、オペラをしょっちゅう書いている人の声のパートは歌いやすく書いてあります。 ところがそうじゃない人のオペラというのは声のパートが器楽に近いようなかたちで書いてあるからなかなか難しいですよね。 そういう風な問題があるんです。
僕の曲は声のパートはかなり器楽的です。歌的じゃない。そういう意味で僕はちょっとオペラという言葉は使いたくないな、という気がしているの。

小沼:そういう意味で楽劇と。フランス語で言い換えるとしたら?

丹波:”Drame musical”。

小沼:日本語を歌うとき、ベル・カント唱法だとどうしても分かりにくいということも起こってくると思うんですが、どうでしょう。

丹波:ベル・カントというのはオペラばっかり書いている人の唱法なんです。
イタリア系の人たちとかが耕して、創り上げてきた唱法なんです。ところが、そうじゃない唱法もあっても良いんじゃないか、という気がする。
僕のオペラは武士がふたり、 乳母がふたり、天皇が3人出てきますけど、そういう人たちが同じフレーズを歌っている。同じ言葉でもって、同じフレーズで歌っている。 ところがモーツァルトなんかはイタリア系の歌の伝統を受け継いでいるんですが、ベートーヴェンなんかはかなり器楽的です。それはやっぱり歌の部分に対するアプローチの違いなんですね。

小沼:例えば演劇をみていると、言葉とストーリーの時間の流れは大体一致しています。ところが、オペラの場合は、もっと進んでいるはずなんだけど、うたは全然進んでいない、ということがあります。現実だったら------- 現実をここに持ちこむのもヘンではありますけれど------一瞬で終わることがアリアでずっと続くように、時間が一種止まってしまうようなところがある。 ストーリーの時間性と言葉の意味の時間性と音楽の時間がみんな違っていてそれが重奏していて、それがオペラになっている。そういう場合、聴き手はリブレットを読んでおくとか、予習しておいた方がいいとか、そういうお考えはありますか?

丹波:なるべく予備知識があった方が良いにはきまっているけれど、そういうものがなくてもわかるような書き方をしてるつもりではありますね。

小沼:そういう意味で、今までの器楽的な作品とは少し違う、と理解してもよろしいんでしょうか?

丹波:いいと思います。特にうたの部分は古い決定音楽的な要素を取り入れているし。
というのはオーケストラでうたの伴奏をするということは容易なことじゃないんです、うたにとって。 ちゃんと拍子を与えないとうたの人がちゃんとついてこれないと思うんです。
だからうたの部分はかなり伝統的な古い書法になっていますけれども、他方、間奏曲や前奏曲など、器楽的な部分はかなり非決定の要素を取り入れて自由に書いています。

小沼:オーケストラの書法では特殊奏法も結構入っているわけですか?

丹波:もちろん。例えば、ある部分なんかはオーボエをリードだけで吹いたり、フルートだと歌口だけとかね。そういう風にして虫の音を出させたりしています。だけどもそれはうたの伴奏と言うような場所ではなく器楽的な場所です。

小沼:オペラというのは、器楽的というか、システマティックな方法はあまりされていないジャンルなのでしょうか。例えばセリーのようには。

丹波:そういう部分も今回の作品では入れてあります。セリーじゃないけども、「十二音ぬりえ書法」というものを使っています。僕はセリーというのは使わないようにしているんです。 セリーは、ピエール・シェフェールが言ったようにヨーロッパ音楽最後の法則なんです。 その書法が出来てから以後書法はなくなってしまった。そういう意味でも使いません。 アルバン・ベルクのように伝統音楽の調性を組み込んだ十二音技法というのも可能なんですが、 それでも僕はセリーを使いません。音楽を死滅させてしまうから。活き活きとした音楽が書けなくなっちゃうから。

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