75代の天皇(1119−1164、名は顕仁(あきひと))。
はじめ樵の姿で、次に崇徳天皇の亡霊の姿で、第二幕では天皇の姿で、第三幕では再び崇徳の亡霊として現れる。
5歳にて天皇の位に就き26歳のとき天皇の位より下ろされる。実子、重仁(しげひと)親王の皇位相続を
鳥羽院方に阻止され上皇継承権も失う。崇徳側は保元の乱を起こすが敗戦、崇徳は讃岐に流され45歳で孤独、
怨みの中に死去。陵は四国香川坂出市の白峰にある。この楽劇の題名はこの場所の名によっている。
大乗経を血書する意味を考えたい。それは経典を写しながら、その意味するところは経典の最もあるまじき最悪の道を選択する、
ということである。このような日本人が850年前、この地に生きたということであろう。
(1118−1190)この時代を生きた最高の知識人、歌人。
保延6(1140)年10月23歳で出家。73歳、葛城山中の弘川寺で没する。
待権門院を深く愛慕。鳥羽院の寵愛をうける。辻邦生「西行花伝」によると、西行は鳥羽御殿の庭で鳥羽院の崩御に接した。
鳥羽院の冥福を祈り安楽寿院の塔の前に蹲ったままだった、とある。
京都創文社・「京都歴史散策マップ」ー鳥羽離宮跡を訪ねて、によると
葬儀に立ち会い次の歌を詠んだとある
「こよひこそ思い知らるれ浅からぬ君に契のある身なりけり」。もちろん崇徳院の信頼も厚かった。
大塚博章(バリトン)
北海道出身。玉川大学芸術学科音楽専攻卒業。
二期会オペラ研修所プロフェッショナルコース修了。
第5回日本クラシック音楽コンクール最高位。第42回日伊声楽コンコルソ第3位。
平成18年文化庁派遣芸術家在外研修員としてドイツ・ミュンヘンに留学。
オペラでは、『魔笛』ザラストロ、『フィガロの結婚』フィガロ、『ナブッコ』ザッカリーア、『トゥーランドット』ティムール、『こうもり』フランク、『カルメン』エスカミーリオ、『ラ・ボエーム』コッリーネ、若杉弘指揮/東京室内歌劇場『ヴェニスに死す』、『美しき水車小屋の娘』『セビリアの理髪師』、びわ湖ホールプロデュース『エルナーニ』ヤーゴ、『シチリアの夕べの祈り』プローチダ、『十字軍のロンバルディア人』ピッロ等で出演。特にプローチダでは新聞各紙より高い評価を受けた。
最近では、05年3月二期会実相寺昭雄演出『魔笛』に出演。6月同『椿姫』ドゥフォール男爵、7月『ジャンニ・スキッキ』シーモーネに出演いずれも好評を博した。06年にも二期会『皇帝ティトの慈悲』に出演。08年は新国立劇場『サロメ』、同『夜明け(黒船)』、同『ペレアスとメリザンド』とさらに活躍の場を広げている。
またコンサート形式のオペラにも、08年7月神奈川フィルハーモニー管弦楽団『トゥーランドット』ティムール、8月アシュケナージ指揮、EUユースオーケストラ『不死身のカシチェイ』嵐の神、9月新日本フィルハーモニー交響楽団『ばらの騎士』公証人、警部役と立て続けに出演し好評を博している。
09年2月東京室内歌劇場公演で『ル・グラン・マカーブル』(日本初演)でのアストラダモルス役への意欲的な取り組みが高く評価されたのは記憶に新しく13年東京二期会『ホフマン物語』クレスペルにて新たな魅力を見出した。その他コンサートではベートーヴェン「荘厳ミサ曲」「第九」、モーツァルト「レクイエム」や「メサイア」、ハイドン「天地創造」等でソリストを務めている。
二期会会員。ホームページは
http://otsuka-hiroaki.kreis-co.info
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(1053−1129、名は貞仁)72代の天皇。1086年、実子堀河天皇に位を譲り法体となるが
堀河28歳で死去した為、その第一皇子、鳥羽天皇を4歳で位に就け政治を補佐したのが院政の始まりとなる。養女、待賢門院璋子
(たいけんもんいん たまこ)を鳥羽天皇の中宮
(第一夫人)となし、その第一皇子、崇徳を皇位に就けるため鳥羽天皇(20歳)を位より下ろす。
崇徳は白河院66歳の時、璋子との間に出来た皇子との説があり、この楽劇ではこの説に拠った。
(台本より)
加賀清孝(バリトン)
北海道滝川出身。
桐朋学園大学音楽学部卒。東京芸術大学大学院独唱科修了。文化庁オペラ研修所修了。
81年から1年間イタリア・ボローニャ音楽院留学。98年文化庁在外特別派遣としてオーストリア・ザルツブルグにて短期研修。
オペラでは86年「フィガロの結婚」伯爵で二期会デビュー。他に「ヘンゼルとグレーテル」、「魔笛」等。「メリー・ウィドー」ダニロでオペレッタデビュー。「チャールダッシュの女王」等、多数の舞台に出演。京王オペレッタフェスタ公演への出演は連続15年を越える。藤原歌劇団(客演)「イル・カンピエッロ」、新国立劇場「ヘンゼルとグレーテル」、さいたま芸術劇場「フィデリオ」、二期会50周年「薔薇の騎士」ファニナル伯爵、二期会「メリー・ウィドー」、二期会「コジ・ファン・トゥッテ(宮本亜門演出、06年文化庁芸術大賞受賞)」アルフォンゾで出演。「魔笛(佐渡裕指揮)」弁者、びわ湖ホール・神奈川県民ホール「薔薇の騎士(沼尻竜典指揮)」、二期会「ナクソス島のアリアドネ」、日生劇場「マクロプロス家の事」コレナティー弁護士役で夥しいチェコ語の法律用語を歌い切った。二期会「メリー・ウィドー」、「タンホイザー(沼尻竜典指揮)」、「椿姫(沼尻竜典指揮)」等、なお現役オペラ歌手として活躍中。
コンサートでは「カルミナ・ブラーナ」「メサイア」、フォーレ、ブラームス「レクイエム」などの宗教曲のバリトン・ソロなど。またベリオ「シンフォニア(日フィル、日フィル)」、シェーンベルク「モーセとアロン(東京交響楽団)」、サントリー現代音楽祭のリゲティ「アヴァンチュール」、ウェーベルン「カンタータ」など、現代作品も難なくこなし、広い音域と柔らかく豊かで破綻のない声を駆使し、歌い続けている。
演奏活動の傍ら独学で作曲もし、音楽教科書に「きょうりゅうとチャチャチャ」「夏の日の贈りもの」「友よ北の空へ」等多数の曲を書いている。03年オリジナルのコメディー・オペレッタ「優しき修道院」を作曲。日本各地で40回を越える公演を続けている。06年2月吉祥寺シアターに於いて東京凱旋公演10回。同時に楽譜、DVD発売。
現在、ミュージカル「シレニア(ジュゴン)の歌」、オペレッタ「私の大切なもの」、ファミリー音楽劇「つ・も・り」、コミック防災音楽劇『御近所絆物語』がある。14年3月には新作音楽劇「そしてボン・ヴォヤージュ」を発表予定。
97年CD「アンコマぱん」、07年自作歌曲のCD「みそさざいの歌」リリース。86年から4年間、NHK教育テレビ「歌ってゴー」レギュラー。
2013年4月、新しく声楽団体『歌工房ボン・ヴォヤージュ』を立ち上げ、日本語による大衆へ向けた新作の音楽劇を発信する事を始めた。
Youtubeにて発信中。ホームページは
http://utabonbon.com
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(1103−1156、名は宗仁)74代の天皇。父、堀河天皇の早世により4歳で天皇の位に就く。
16歳で待賢門院璋子
(たいけんもんいん たまこ)(18歳)と結婚。崇徳、後白河天皇の父。第二夫人、美福門院得子
(びふくもんいん なりこ)との間に出来た近衛院体仁(なりひと)を愛し、崇徳を
廃位し2歳の近衛天皇をたて、保元の乱の原因を作る。音楽に優れ笛の名手であった。
(台本より) 辻邦生「西行花伝」によると、鳥羽院がご存命であられた間は
その権力はすべてを超えていた、とある。
私がこの地を訪ねた時、御所から遠く離れた京都の南端、広大な鳥羽離宮で上皇として大変な権力を行使した、
との印象をもった。上皇は安楽寿院に眠る。
中鉢聡(テノール)
東京芸術大学卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第11期修了。
1992年ロッシーニ国際オペラコンコルソ入選。平成5年度文化庁芸術家国内研修員。
東京文化会館推薦音楽会オーディション合格。オペラ歌手育成部在学中の1990年、秋田県制作の郷土オペラ「ねぶり流し物語」でデビュー、続いてモーツァルト「バステイアンとバステイエンヌ」に出演し、修了公演では「オリー伯爵」のタイトルロールを歌った。
その後プーランク「カルメル会修道女の対話」等に出演し1995年「椿姫」のガストンで藤原歌劇団にデビューを飾る。1996年「東洋のイタリア女」(日本初演)のシーシンで好評を博す。
その後イタリアに渡り、ミラノでボッケリーニ「スタバト・マーテル」などのコンサートに出演。
1997年は藤原歌劇団文化庁青少年芸術劇場公演「愛の妙薬」のネモリーノを歌う。
帰国後2003年10月の「ロメオとジュリエット」のロメオ役に抜擢され大成功をおさめた。
新国立劇場には開場記念公演「建・TAKERU」の両面少名でデビュー以来、「椿姫」、「こうもり」(アルフレート)、「マノン・レスコー」(エドモンド)、「セビリアの理髪師」(フィオッレッロ)、「ドン・キショット」(ジュアン)、小劇場オペラシリーズ「幸せな間違い」(ベルトランド)、「花言葉」「魔笛」の武士、「イル・トロヴァトーレ」(ルイス)、「ドン・カルロ」(レルマ伯爵)、「ウェルテル」(シュミット)など数多くの出演を果たしている。2002年オペラ鑑賞教室「トスカ」のカヴァラドッシ役で絶賛を博し、翌年も同公演に出演。以後も「アラベッラ」(マッテオ)、「オテッロ」(ロドリーゴ)と出演が続いている。
また、サントリーホールのホールオペラ「ドン・カルロ」、ゲルギエフ指揮/読売日響でのベルリオーズ「レクイエム」、その他、「第九」や各種コンサートでソリストとして活躍する一方、NHK教育TV「愉快なコンサート」へのレギュラー出演やサッカー国際試合での国歌独唱など活動は多岐にわたり、クラシック界にとどまらず広く注目を集めている。最近では2012年オペラ「高野聖」(池辺晋一郎作曲)、2013年「天守物語」(水野修孝作曲)に出演。大きな注目を集めた。
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(1101−1145、名は璋子)白河法皇の養女となり18歳で鳥羽院の第一夫人となり、
崇徳、後白河天皇の母。法金剛院を建立。史実では保元の乱の前に死去しているがこの楽劇では保元の乱で崇徳側につき美福門院と対立したことにし、劇的効果を高めた。
(台本より)
伊藤晴(ソプラノ)
武蔵野音楽大学大学院修了。日本オペラ振興会育成部第25期修了。
パリ地方音楽院修了。第九回藤沢オペラコンクール第2位。第82回日本音楽コンクール入選。日本オペラ連盟文化庁新人育成公演「修道女アンジェリカ」アンジェリカ、
武蔵野音楽大学本公演「コジ・ファン・トゥッテ」フィオルディリージ、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ定期「フィガロの結婚」スザンナ、
みなとみらいホールオペラシリーズ プーランク「声」、文化庁次代を担う子供の文化芸術体験事業「魔笛」パミーナ、石黒晶作曲オペラ「みすゞ」(世界初演)金子みすゞ役ほか
「椿姫」「タイス」等多くのオペラに出演。サル・プレイエルでのパリ管弦楽団アカデミーコンサート、マントヴァ歌劇場でのヴェルディ・ガラコンサート他、
「メサイア」、「第九」、モーツァルト「レクイエム」、グノー「聖セシリア荘厳ミサ」、フォーレ「ペレアスとメリザンド」等コンサートソリストでも活躍する。
本年6月の藤原歌劇団創立80周年記念コンサートに出演予定、また11月には藤原歌劇団本公演に「ラ・ボエーム」ムゼッタ役でデビューが予定されている。
ひとこと
平安時代後期の貴族から武家政権へと移行する混乱の中で、運命に翻弄されるしかなかった待賢門院璋子。
その動乱の時代においても白河上皇、鳥羽天皇らの寵愛を受け、後の二人の天皇を含む多くの子宝に恵まれた、
璋子のたくましさと女性らしいしなやかさを演じられたらと思います。
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(1117−1160、名は得子なりこ))鳥羽院の第二夫人として寵愛を受け近衛天皇体仁(なりひと)、
をもうける。体仁親王を2歳で天皇の位に就けるが16歳で早世、翌年、鳥羽院も死去。これらの死去を崇徳側の呪詛によるものとし深く怨み憎んだ。
鳥羽院崩御に際し違勅と称し鳥羽院の第四皇子雅仁を天皇の位に就けることで(後白河天皇)、崇徳の第一皇子重仁(しげひと)の皇位継承を阻み崇徳の
上皇継承をも同時に阻止した。これが1156年の保元の乱の原因となる。しかし、これは当時の政治体系、家督体系に問題があるので美福門院に罪をきせる
のは当を得たものとは言えないだろう。それは、むしろ母親の盲目的な愛情であったと解釈すべきだろう。平安時代の華やかな王朝文化の陰には陰謀、
殺戮、憎しみ、怨みが多くあったことも分かる。
(台本より) 丹波先生の美福門院への公正な見方に先生のお人柄と深い教養を感じる。(大西)
飯田みち代(ソプラノ)
愛知県出身。京都大学教育学部教育心理学科卒業。声楽を故引田リエコ氏、M.ランティエリ氏、S.ギオーネ氏、C.スタニシェフ氏に師事。またトウッチ氏・ライモンディ氏・コラデッティ氏のマスターコース修了。1990年日本イタリア声楽コンコルソ金賞受賞以来、飯塚新人コンクール大賞、日伊声楽コンコルソ第2位受賞。朝日ABCコンサート優秀賞受賞。NHK新人オーディション合格。
平成17年度 愛知県芸術文化選奨 受賞。
『ヘンゼルとグレーテル』グレーテルでオペラデビュー。『椿姫』ヴィオレッタ『リゴレット』ジルダ、『ランメルモールのルチア』ルチア、『愛の妙薬』アディーナ、『セヴィリアの理髪師』ロジーナ、『こうもり』ロザリンデ、ヴォルフ=フェラーリ『スザンナの秘密』スザンナ、『ねじの回転』家庭教師、『ラ・ボエーム』ミミ、『夕鶴』つう、『魔笛』夜の女王、等で出演。02年二期会『椿姫』フローラで出演。
「第9」や「メサイア」、「天地創造」など交響曲、宗教曲などのソリストを務め、日本だけでなくイタリア、ドイツ、オーストリアにおいてもコンサートやリサイタルなどに出演。幅広く活躍している。2003年11月日生劇場・二期会共催公演『ルル』タイトルロールでの好演は魅惑のディーヴァへの期待に十二分に応えた。(『ルル』は2003年度 ミュージック・ペンクラブ賞受賞)、2004年7月 王子ホール委嘱作品ギリシャ劇「エレクトラ3部作」<アトレウス家の破壊と再生>のタイトルロール、2005年7月<弟オレステスの放浪と帰還>での活躍はセンセーションを放った。
2005年3月東京二期会オペラ公演『魔笛』夜の女王、2006年2月同公演『ラ・ボエーム』ムゼッタで出演し、何れも高い評価を得る。2008年7月、東京室内歌劇場『夜長姫と耳男』(坂口 安吾原作 間宮 芳生作曲)の夜長姫に出演し好評を博した。2010年3月、サントリー音楽財団創設40周年記念オペラ『パン屋大襲撃』(望月京作曲、村上春樹原作)ミヤでも好評を博した。
2010年5月、ラ・フォル・ジュルネ ショパンの宇宙(東京国際フォーラム)に出演。
2012年11月、日生劇場開場50周年記念特別公演『メデア』に主演する。ウィーン在住。
二期会会員
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(1120−1156)左大臣として崇徳天皇を補佐し、関白の兄忠通が補佐する鳥羽院側と対立、
兄弟の家督の争いも保元の乱の一因となった。学問に秀で、性格も厳格で、知略も兄忠通をしのいだ。「保元物語」では合戦で流れ矢に当たり数日後
死んだ事になっているが、この楽劇では戦死したことにしている。
(台本より) 辻邦生「西行花伝」によると、蒼白い冷たい顔の 頼長は崇徳院と親しく、重仁親王こそが正当の後継と
見なしていた。頼長の豊かな学識に裏づけられた論議を反駁できる人物など宮廷中を探してもだれ一人見当たらない、と描写され、また
保元の乱の背景には、大荘園領主の立場に立つ関白忠通と群小領主の立場に立つ左大臣頼長の争いがあった、とも分析されている。
大久保光哉(ハイバリトン)慶應義塾大学法学部卒業。東京芸術大学大学院博士課程修了。
文化庁オペラ研修所修了。
平成9年度文化庁派遣芸術家在外研修員としてスウェーデンへ留学。
札幌新人演奏会、日演連新人演奏会(札幌交響楽団、末廣誠指揮)、第7回世界オペラ歌唱コンクール「新しい声’97」アジア予選代表としてドイツ本選に出場。
『セヴィリアの理髪師』バルトロでオペラデビューした後、新国立劇場オープニング公演『TAKERU・建』稲置、新国立劇場・二期会共催公演『罪と罰』主、同『サロメ』、日生劇場開場40周年記念二期会共催オペラ『ルル』、シアター1010日米協同によるオペラ『じょうるり』(三木稔作曲)をはじめ、数々の公演に出演。近年では、06年新国立劇場小劇場『セルセ』、同公演こどものためのオペラ劇場『スペース・トゥーランドット』、07年新国立劇場『運命の力』、東京二期会『ナクソス島のアリアドネ』かつら師、08年新国『夜明け(黒船)』、09年同『こうもり』ブリント、『ムツェンスク群のマクベス夫人』、『修禅寺物語』、10年『影のない女』など主要公演に出演。
コンサートでは、芸大定期ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」「ハ長調ミサ」、シューベルト「エリア」をはじめ、モーツァルト「レクイエム」「戴冠ミサ」、プッチーニ「グローリア・ミサ」、ベートーヴェン「第九」「ハ長調ミサ」、ベルリオーズ「ファウストの劫罰」ブランデル(ジャン・フルネ指揮 東京都交響楽団)などのソロを務めている。ほかに読売日本交響楽団ネッロ・サンティ指揮『椿姫』、ゲルト・アルブレヒト指揮『ヴォツェック』、NHK交響楽団準・メルクル指揮『ヴィーナスとアドニス』(ヘンツェ作曲)、東フィルオペラコンチェルタンテ『サロメ』『遥かなる響き』、東京国際フォーラム開館記念公演「日中オペラガラコンサート」、97年、99年東京でのソロリサイタル、また98年スウェーデン・レークサンド音楽祭では、スウェーデン歌曲を演奏し、好評を得た。99年文化庁主催による「明日を担う音楽家による特別演奏会」、NHK「FMリサイタル」に出演するほか北欧の声楽作品の研究発表を行っている。
04年5月にはサクソフォン 平野公崇作曲による新作 サクソフォン、ピアノ、バリトンとオーケストラのための「七つの絵 〜有元利夫に捧ぐ〜」に起用され、その模様は日本テレビ「深夜の音楽会」で放送された。
06年6月に井上道義指揮日本フィル横浜定期公演において、シベリウスプログラムのソリストに起用され、絶賛された。
役柄を的確に演じ分けることの出来る音楽性とテクニックを持つ期待のバリトンである。
二期会会員。 ホームページは
http://www4.hp-ez.com/hp/sv-mitsuya/
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(1097−1164)法性寺殿(ほっしょうじどの)とよばれる。崇徳院側の頼長の異母兄で鳥羽院側の
関白として弟と対立。この兄弟の父、藤原忠実(ただざね)は次男頼長を愛し家督を継がせたので兄弟争い、保元の乱の一因ともなる。頼長が養女多子
を9歳の近衛天皇の皇后(8歳)としたので、忠通もその養女呈子を中宮に入れる。この史実は当時の政治体系、家督相続を理解する一因となるだろう。
忠通は能書家として有名。
(台本より) 辻邦生「西行花伝」には、融通自在の人柄、管弦詩歌も巧、とある。
草刈伸明(バリトン)桐朋学園大学音楽学部を経て、同大学研究科を修了。これまで佐藤桂子、木村俊光の両氏に師事。
第20回友愛ドイツ歌曲コンクール入選。日奥文化協会フレッシュコンサート2010年度奨励賞。2011年「仙台クラックフェスティバル」に出演。仙台市野草園でのコンサート等、地元仙台と東京を中心に数多くのコンサートに出演。
2012年に第42回ウィーン国際音楽セミナーに参加し、オスカー・ヒレブラント氏に師事。
ウィーン郊外にあるハイドンの生家で行われた演奏会に出演。
またセミナー内で行われたディヒラー・コンクールにおいて3位入賞。ウィーン市庁舎旧館で開催された入賞記念コンサートに出演。桐朋学園大学付属「子共のための音楽教室」非常勤講師。
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滝沢博(バリトン)愛知県立芸術大学音楽学部声楽専攻卒業。同大学大学院音楽研究科声楽専攻修了。
声楽を石津憲一、西義一、河野克典の各氏に師事。
1994年オペラ「領事」でデビューを果たす。以後、モーツァルト3大オペラをは
じめ邦人現代作品まで多数のオペラに出演し、国内外の演出家や演奏家と舞台を
踏み研鑽を積む。
また、歌曲のリサイタル、声楽曲ソリスト、各都市での「第九」「メサイア」他
声楽曲の合唱指揮者、市民音楽祭音楽監督を務める。
オペラ「フィガロの結婚」「魔笛」「コジ・ファン・トゥッテ」「ナクソス島の
アリアドネ」「カルメン」「ヘンゼルとグレーテル」「ジャンニ・スキッキ」
「夕鶴」「じゅごんの子守唄」「不思議の国のアリス」他、「マタイ受難曲」
「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」「メサイア」「天地創造」「第九」等に出演。
滝沢音楽教室主宰。
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近衛天皇(体仁(なりひと)親王の乳母である。乳母は後の天皇の育ての親になるので重要な立場。また
辻邦生「西行花伝」に次のような文章がある。「信西は帝の乳母紀伊二位を妻に迎えてから、急に宮廷のなかで権力を持つようになったのだ。」
城(杉浦)愛美(メゾソプラノ)愛知県立芸術大学音楽学部音楽科声楽専攻卒業、また同大学大学院音楽研究科博士前期課程音楽専攻声楽領域修了。
オペレッタ『こうもり』ロザリンデ、オペラ『カルメン』カルメン、『魔笛』侍女3、『ホフマン物語』ジュリエッタ、『ヘンゼルとグレーテル』お母さん、音楽物語『ブレーメンの音楽隊』ロバ(倉知竜也氏作曲)、舞台神聖祝祭劇『パルジファル』花の乙女などを演じ、また宗教曲のソリストとして演奏会に出演。
これまでに声楽を大橋ゆり、近藤惠子の両氏に師事。
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愛知県立芸術大学音楽学部声楽専攻卒業。同大学大学院音楽研究科修士課程修了。
第11回大幸財団丹羽奨励生。
オペラ《ナクソス島のアリアドネ》エヒョー役でオペラデビュー後、
愛知県文化振興事業団主催『第2回あいちの未来を紡ぐ!コンサート』、2010年 ブダペストにて
「日本・ハンガリー 友好音楽祭」、名古屋市文化振興事業団主催『クリスマスロマンチックコンサート』、など各種コンサートにソリストとして出演。
また、J.S.バッハのカンタータやモーツァルト「レクイエム」など、宗教曲のソリストも務める。
現在、大下久深子氏に師事。 J.S.Bach-Musikkapelle会員。
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台本ではもちろん崇徳院側の武士となっている。
のちに死罪、流罪にされた源為義、源為朝、平時広などがいる。
源為義の子孫の方は今も9月21日の崇徳さんのご命日の祭典には白峯神宮にお酒を献上されている。
これは驚きだった。
迎 肇聡(バリトン)
大阪音楽大学音楽学部声楽専攻卒業。同大学院オペラ研究室修了。第54回全日本学生音楽コンクール大阪大会第1位。
これまでに、オペラでは各地における「フィガロの結婚」フィガロ、伯爵、「セヴィリアの理髪師」フィガロ、「魔笛」パパゲーノ、
「ドンジョヴァンニ」ドンジョヴァンニ、「コジ・ファン・トゥッテ」グリエルモ、「カルメン」エスカミーリョ、
「こうもり」ファルケ、「トゥーランドット」ピン、「ボエーム」マルチェッロ、「ドンパスクアーレ」マラテスタ、
「愛の妙薬」ベルコーレ、「道化師」トニオ、「魔弾の射手」カスパール、「ウィンザーの陽気な女房」「ファヴォリータ」
「ヘンゼルとグレーテル」「森は生きている」「チェネレントラ」「ポッペアの戴冠」「イメネーオ」「泣いた赤鬼」等に出演し好評を得ている。
また、宗教曲ではベートヴェン「第九」、ヘンデル「メサイア」等のソリストをつとめる。びわ湖ホール声楽アンサンブル専属歌手。
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山本康寛(テノール)京都市立芸術大学声楽専攻卒業、同大学院修了。
平成24年度平和堂財団芸術奨励賞受賞、第32回飯塚新人音楽コンクール第1位、
第25回宝塚ベガ音楽コンクール第2位。
ミサ曲、第九、オルフのカルミナブラーナ等の各ソリスト、またバッハのエヴァンゲリスト
を務める。
オペラでは、「魔笛」タミーノ、モノスタトス 、青島広志「黒蜥蜴」雨宮潤一、
パーセル「ディドとエネアス」魔女・水夫、マスカーニ「友人フリッツ」タイトルロールを演じる。これまでに安藤恭子、
北村敏則各氏に師事。現在、びわ湖ホール声楽アンサンブルメンバーとして活動中。
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田中松緑多度雅楽会 館主。昭和42年、三重県桑名市多度町生まれ在住、
北海道大学卒業。
昭和56年から現在まで、地元の多度大社などで雅楽演奏を続ける。
宮内庁楽師等から指導を受けて、平成12年、多度雅楽会を設立。
三重県桑名市と東京都江東区にて若手楽人の指導育成にあたる。
毎年春秋に、国名勝「六華苑」庭園を舞台として本格舞楽会を主催する。
文化芸術による創造のまち文化庁事業の実行委員長(平成19‐20年)。地域伝統文化功労者表彰(平成25年度)。
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三宅近成昭和60年生。父、三宅右近に師事。祖父は人間国宝・故九世三宅藤九郎。
3歳で初舞台「柑子俵」に出演。
平成16年「三番叟」、平成19年「釣狐」、平成24年「金岡」を披く。
能楽協会会員。